砂漠の空を飛んだ話。元JALパイロット、ドバイ貨物機の記録

飛行機

皆さんこんにちは。吉川哲也です。

今日は、私がJAL破綻後にUAEの貨物航空会社で働いた話をしようと思います。

ニュースでも旅行でもなく、「そこで実際に暮らし、飛んだ人間」の話です。
きっと、どこにも書いていないことをお伝えできると思います。

## UAEの夏は、想像を絶する暑さだった

「ドバイって暑いんでしょ?」

よく聞かれます。でも「暑い」という言葉では全然足りません。

3月の終わりから10月まで、気温は40〜45℃が当たり前。私が住んでいたマンションの駐車場は屋外だったのですが、車の車内温度が**50℃を超える**ことも珍しくありませんでした。ドアを開けた瞬間、オーブンの中に入ったような感覚です。

この気温は、飛行機の運航にも直接影響します。

熱い空気は密度が下がり、エンジンの出力も翼の揚力も落ちます。つまり、**真昼の夏場は飛行機の性能が著しく低下する**のです。そのため、私たちが乗っていた貨物機は昼間はほとんど飛びません。フライトのほとんどは夕方から夜にかけてでした。

昼は寝て、夜に飛ぶ。UAEでの生活リズムはそういうものでした。

## 年に1〜2回しか雨が降らない国

UAEは、年間を通じてほとんど雨が降りません。1〜3月がいちおう「雨期」とされていますが、日本の感覚とはまるで違います。雨と言っても霧が出る程度のことが多い。

ただし、**砂嵐は別です。**

年に数回、大規模な砂嵐が来ます。空が茶色くなり、視界がほぼゼロになる。車の運転は本当に危険で、私も何度も立ち往生しました。コックピットから見ると、地平線の向こうから茶色い壁が迫ってくる——あの光景は、日本では絶対に見られないものです。

## 私が乗っていた飛行機:エアバスA300-600R(F)

UAEで私が担当したのは、エアバスA300-600R(F)という貨物機でした。

実はこの機体、**以前JAL・JAS時代にも乗っていた飛行機**です。日本でお客様を乗せていた機体が、貨物機に改修されてドバイを飛んでいる——不思議な縁を感じました。

操縦特性は非常に素直で扱いやすい機体です。ボーイング機と比べると巡航速度はやや遅いのですが、燃費の良さが際立っています。今も香港の航空会社が現役で使っており、その信頼性の高さを物語っています。

## 飛んだルート:ピラミッドの上空、カブールへの飛行

アブダビを拠点に、東は香港、西は北アフリカまで飛びました。

特に多かったのがインド路線。そして、今となっては信じられないかもしれませんが——**アフガニスタンにも飛んでいました。**

当時はまだ米英を中心とした多国籍軍がアフガニスタンに展開していた時期です。カブールへの降下ルートには、カラコルム山脈の難所「K2(8,611m)」を超えるルートが含まれていました。世界第2位の高峰を超えながら降下するあの感覚は、他の路線では絶対に経験できないものでした。

また、北アフリカへのフライトでは**エジプトのピラミッドの真上を飛ぶことも**ありました。コックピットの窓から、砂漠の中にぽつりと立つギザのピラミッドを見下ろす。地中海の青い海と白い建物、サウジアラビアの一面の砂漠、点在するオアシス——あの景色は、パイロットだけが見られる風景です。

## 「アラブの春」前の中東は、今とは別の場所だった

私がUAEにいたのは、今から約15年前。「アラブの春」が始まる前の時期です。

今よりずっと治安が安定していました。イランとの関係も現在ほど緊張していなかった。(当時からイラン上空は飛行できませんでしたが。)当時運んでいた貨物は、高級車や電子部品の輸出、そして野菜や果物の輸入。世界の物流を担う仕事の一端を、肌で感じていました。

あの時期にあの場所で飛べたことは、今振り返っても本当に幸運だったと思います。

## 最後に

このブログを読んでくださっている方の中には、パイロットを目指している方や、海外で飛ぶことに興味がある方もいると思います。

私がUAEで得た経験——異文化の中で飛ぶということ、日本の航空文化との違い、そして砂漠の上空から見た地球の景色——は、どんな教科書にも書いていません。

若いパイロットたちに、こういう経験をぜひ伝えていきたい。それが、このブログと YouTube「吉川空塾」を続ける理由の一つです。

次回は、**UAEでの「安全文化」が日本とどう違ったか**、具体的なエピソードを交えてお話しします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

吉川 哲也

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