APSへの渡米まで残り7ヶ月――私が今、準備していることと、日本の航空界に伝えたいこと

UPRT

皆さんこんにちは。吉川哲也です。

シミュレーターだけでは足りない。初期訓練の記憶だけでは死ねない。世界が30年前に気づいたことに、日本の航空界はまだ気づいていない。変化しなければ何も変わらない。11月、私はアリゾナへ答えを取りに行く。

APSへの渡米まで残り7ヶ月――私が今、準備していることと、日本の航空界に伝えたいこと


カレンダーを見るたびに、焦りと覚悟が交差する

今年の11月。

カレンダーに丸をつけたその日まで、7ヶ月を切った。

アリゾナ州メサ。APS Training(Aviation Performance Solutions)――世界最高峰のUPRT専門訓練機関への渡航まで、私はいま、静かに、しかし確実に準備を進めている。

Ground Schoolの予習テキストを読み込む夜がある。英語の航空技術用語を確認する朝がある。異常姿勢回復の手順を頭の中でシミュレーションする瞬間がある。

しかし正直に言えば、準備をしながら、もどかしさも感じている。

日本の航空界を見渡すたびに、ある問いが頭をよぎるからだ。

「なぜ、誰もやらないのか」


JCABの現状認識――「小型機での初期訓練で十分」という壁

航空局(JCAB)の現在の認識を、正確に伝えておきたい。

日本では現在、初期訓練課程における小型機でのスピン訓練・基本的な異常姿勢訓練をもって「UPRTとして十分」とされている。

私も自衛隊時代にT-3、T-1、T-33でスピン訓練を経験した。あの訓練の価値は否定しない。確かに意味がある。

しかし、それで「十分」だろうか。

世界が定義するUPRTは、もはやそのレベルを大きく超えている。ICAOのDoc 9625が示す訓練体系、FAAのAC 120-111が定める基準――それらは「初期訓練での経験」ではなく、現役パイロットが繰り返し受けるべき継続的な訓練として設計されている。

Delta Air LinesがAPSと組んで5年間・500万フライトにわたって実証したのは、継続的なUPRT訓練によって異常姿勢の発生を50%削減できるという事実だ。初期訓練の記憶だけでは、その数字は出ない。

「初期訓練で十分」という認識は、30年前の航空安全の常識だ。世界はとっくに先へ進んでいる。


シミュレーターの限界――誰も口に出さない真実

もう一つ、日本の訓練界が直視しなければならない問題がある。

シミュレーターだ。

「最新のフルフライトシミュレーター(FFS)があれば十分ではないか」という声を聞くことがある。確かにシミュレーターは優れた訓練機材だ。コスト、安全性、反復性――多くの点で実機訓練を補完する。

しかし、シミュレーターには越えられない壁がある。

Gがない。身体感覚がない。本物の恐怖がない。

前回のブログで書いた「フリーズ反応」を覚えているだろうか。経験したことのない状況に直面したとき、人間の脳は処理を止める。その「経験したことのない感覚」をシミュレーターで再現することは、物理的に不可能だ。

Extra 300の操縦席で本物のGを受けながら視界が回り、高度計の針が動き、身体が訴える恐怖の中で正しい操作をする――その経験を積まなければ、有事に身体は動かない。

世界のUPRT専門家が一致して言うことがある。

「シミュレーターはUPRTを補完できるが、代替できない」

日本の訓練体系は今、この「代替できない部分」を丸ごと欠いている。


ジェネアビの現実――安全への意識が薄すぎる

さらに踏み込んで言わなければならないことがある。

日本のジェネラルアビエーション(一般航空・小型機)の世界では、安全への意識が著しく薄い。

これは批判ではなく、事実の確認だ。

小型機のパイロットにとって、UPRTはほぼ無縁の存在だ。「自分は大きな旅客機に乗っているわけではない」「ベテランだから大丈夫」「今まで問題なかった」――そういった正常性バイアスが、ジェネアビの世界では特に強く働く。

しかしLOC-Iによる死亡事故の多くは、実は小型機で起きている。旅客機よりもはるかに多く。機体の運動性が高く、操縦特性も多様で、計器装備が限られた環境で飛ぶ小型機こそ、異常姿勢のリスクが高い。

米国FAAのデータでは、一般航空事故の原因としてLOC-Iが長年トップを占め続けている。日本でも状況は変わらないはずだが、体系的なデータ収集と公表すら十分でない。

「事故が起きてから考える」では遅すぎる。


高市政権が掲げる「未来への投資」と、空の安全

高市政権は「未来への投資」を経済政策の柱に据えている。防衛費の増額、先端技術への支援、スタートアップ育成。日本が世界で存在感を示すための「強い日本」を目指している。

しかし問いたい。

空の安全は、「未来への投資」に含まれているか。

航空は経済の血管だ。インバウンド4,000万人時代、航空需要は右肩上がりを続けている。空飛ぶクルマ、ドローン配送、次世代エアモビリティ――日本が世界をリードしようとしている分野のほとんどが、空と繋がっている。

その空を飛ぶパイロットの訓練が、世界標準から30年遅れている。

これは「航空業界の内輪の問題」ではない。日本の国際競争力と、人の命に直結する問題だ。

日本が「技術立国」として世界で存在感を示したいなら、空の安全訓練の遅れを放置したまま先へは進めない。規制の整備、訓練基準の国際標準化、UPRT専門機関の育成――これらは今すぐ始めなければ間に合わない投資だ。

変化しなければ、何も変わらない。その間にも、空では事故が起き続ける。


私が今、準備していること

少し声のトーンを落として、個人的な話をしたい。

11月の渡米に向けて、私が今やっていることを正直に書く。

英語の技術用語の反復確認。 APSの訓練はすべて英語で行われる。Ground Schoolの教材を取り寄せ、UPRTに関連する空力・生理・認知の用語を一つ一つ確認している。「知っている」と「英語で瞬時に理解し反応できる」は別物だ。

異常姿勢回復手順の頭の中でのリハーサル。 Extra 300に実際に乗る前に、可能な限り手順を頭に叩き込む。ただし、それが「頭での理解」に過ぎないことも、わかっている。だからこそ渡米する。

JCAB担当者との連絡継続。 帰国後に訓練成果を報告し、日本の制度設計に貢献するという約束を果たすために、今から連絡体制を温めている。

ブログでの発信継続。 これが今、私にできる最も重要な準備の一つだと思っている。「知らないから変わらない」という状況を少しずつ変えること。読んでくれている人が一人増えるたびに、日本の空が少し安全に近づく。


それでも、走り続ける

正直に言えば、変化を起こすことへの困難さを感じる瞬間もある。

制度の壁、認識の壁、予算の壁、時間の壁。UPRT JAPANを設立するまでの道は、決して平坦ではない。

しかし、これだけは揺るがない。

変化を起こさなければ、何も変わらない。

ANAウイングスの重大インシデントが続き、世界では今日もLOC-Iによって命が失われている。日本のパイロットたちは、必要な訓練を受けられないまま空を飛んでいる。

その現実から目をそらして「難しいから」と立ち止まることは、私にはできない。

11月、アリゾナの空の下で、私は自分の身体で答えを出しに行く。

帰国後、その全てをこのブログで報告する。

空を、もっと安全に。その一点に向かって、走り続ける。


本記事は筆者の個人的見解を含みます。JCABおよび各機関への批判を目的とするものではなく、日本の航空安全向上に向けた問題提起として書いています。

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