なぜニアミスは、なくならないのか ——最後の砦は、人である

飛行機

遙かなる大空 Vol.88

なぜニアミスは、なくならないのか
——最後の砦は、人である

8月4日朝、羽田でANA機と国交省の飛行検査機が異常接近。ANA機はTCASの指示に従い上昇・復行した。
システムがどれほど発達しても、最後に空を守るのは、外を見て、耳を澄ませ、自動化に頼りきらないパイロットの姿勢だ。

2026年8月4日の早朝、羽田空港の近くで、着陸へ向かっていた全日本空輸(ANA)のNH968便(ボーイング767、上海発)と、国土交通省の飛行検査機(セスナ サイテーションCJ4)が異常接近(ニアミス)した。ANA機はTCAS(航空機衝突防止装置)の回避指示(RA)を受けて上昇し、着陸をやり直した(復行)。乗客乗員197名にけが人はなく、同便はほどなく着陸した。Flightradar24の公開データでは、最接近時の間隔は水平約1.25km・垂直約30mだったという。事案はANAから国交省へ報告されている。

まず断っておきたい。本件は現在レビュー中であり、本稿は原因を予断せず、特定の当事者の是非を論じるものではない。ここで考えたいのは、もっと普遍的な問いだ——なぜ、システムがこれほど発達しても、ニアミスはなくならないのか。そして、その答えとして私がいつも立ち返る一点である。

なぜニアミスはなくならないのか——多層防御と、その隙間

空の安全は、たった一つのシステムで守られているのではない。幾重もの層(多層防御)で守られている。空域と経路の設計、分離基準。地上のATCによる管制分離。乗員の見張りと、無線で周囲の交通を把握する状況認識。そして最後に、機上で独立して働くTCAS/ACAS——。

問題は、どの層にも“穴”があることだ。人的エラー、高いワークロード、無線の混雑、そして複数滑走路が輻輳する複雑な空域や、多様な交通の混在。だからニアミスは「起きうる」。それでも、上位の層をすり抜けた接触の芽を下位の層が止めれば、事故には至らない。ニアミスがなくならないのは各層が完璧でないからであり、しかしそれが「ニアミス」で止まるのは、どこかの層が持ちこたえているからだ。8月4日は、最後の層——TCASの指示と、それに従った復行——が、接触の芽を止めた。

TCASは「最後の砦」——だから、確実に従う

TCASは、ATCから独立して機上で働く。周囲の交通を監視し、まずTA(注意喚起)で知らせ、衝突の危険が高まればRA(回避指示)を出す。RAは“お願い”ではなく指示であり、垂直方向(上昇か降下か)に機体を引き離す。両機がTCAS II(RAモード)で動いていれば、二機のRAは互いに協調する。そして——ここが大切だが——相手機が非装備や不作動であっても、装備している機は自機のRAで守られる。だからこそ、RAが出たら即座に、正確に従うことが求められる。

これは、血で購われた教訓でもある。2002年のユーバーリンゲン空中衝突では、ATCの指示とTCASのRAが食い違い、片方がATCに従って降下したことで、協調のロジックが崩れた。以来、世界の鉄則は明確だ——ATC指示とRAが競合したら、RAに従う。迷いや逆操作は、システムが差し出した最後の安全を無効化してしまう。8月4日、ANA機がRAに従って上昇し復行したのは、この鉄則どおりの、正しい対応だった。

「システムは“床”を上げる。人の姿勢が“天井”を決める。」

それでも、最後の砦は「人」——普段の姿勢

TCASは最後の“自動の網”だ。だがその網でさえ、最後は人が正確に・即座に操作してはじめて機能する。そして本当は、RAに至る前に事態を防ぐ、地味な習慣の積み重ねこそが効く。ACAS XやAIによる次世代システムは歓迎すべきだ。しかし、どれほど賢いシステムも、最後の数秒の判断を人に手渡す。だから、古い習慣は古びない。

外を見る——計器の中だけに閉じこもらず、見張り(see-and-avoid)を怠らない。とくに有視界気象やターミナル空域で。他機のATCを聞く——自機への指示だけでなく、周囲の交信(パーティーライン)に耳を澄ませ、「誰がどこへ向かっているか」を頭の中に地図化して先読みする。自動化に頼りきらない——システムは道具であり、判断するのは人だ。監視役に埋没し、いわゆる「マゼンタ・ラインの子ども」になってはいけない。そして迷わず即実行する——RAも復行も、ためらいが最大の敵だ。これらはどれも派手ではない。だが、機械が見落とすものを捉えるのは、いつもこの姿勢である。

🗾 訓練文化として

見張りも、状況認識も、そして「やり直す勇気」も——これらは才能ではなく、訓練できるものだ。復行(ゴーアラウンド)は、ためらえば事態を悪化させる決然とした操作であり、その反射はCRMとUPRTの文化が育てる。羽田のように過密で複雑な空域を持つ日本でこそ、この文化は「箱にチェックを入れる」以上の意味を持つ。

私たちは2024年1月、羽田で痛ましい地上衝突事故も経験した。層は、すべてが持ちこたえてはじめて命を守る。だからこそ、システムの進化を歓迎しつつ、その根に「人の姿勢」を据え続けたい。

結論

システムはこれからも良くなる。より賢い衝突回避、より精密な監視。大いに歓迎しよう。だが、どの層も——最も賢い層でさえ——最後の数秒の判断を人に委ねる。垂直約30メートル。それが、8月4日に残された余白の数字だ。その余白を「ニアミス」で止めたのは、指示に従い、迷わず機体を上げ、やり直した人の手だった。外を見て、耳を澄ませ、頼りきらず、迷わず動く。この最も古い構えこそ、安全という塔の土台である。

数字は嘘をつかない——UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 合同会社 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考文献
  • Aviation Wire「国交省の検査機、羽田離陸直後ANA機に接近 TCAS作動」2026-08-04. https://www.aviationwire.jp/
  • ITmedia/共同通信ほか「羽田 異常接近、最接近は水平約1.25km・垂直約30m(Flightradar24 ADS-Bデータ)」2026-08-04.
  • SKYbrary「ATC Avoiding Instructions Opposite to TCAS RA」/ICAO ACAS/TCAS ガイダンス.
  • BFU(ドイツ連邦航空事故調査局)「Überlingen mid-air collision(2002)最終報告」=RA遵守の教訓.
  • TCAS II Version 7.1 / ACAS X 概説(各種公開資料).

※ 本稿は2026年8月5日時点の公開情報に基づく。羽田の事案は関係当局へ報告済みでレビュー中であり、本稿は原因や特定当事者の是非を予断しない。図はいずれも理解のための概念図。

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