皆さんこんにちは!
航空業界で新たに事業を興す起業家は世界的に見ても他の業種と比べても多くはありません。
その理由として、航空機の購入やその他の施設(整備、燃料など)の費用が莫大だからです。
そんな中でも会社を立ち上げた起業家がいます。
ACSFキャリアパネルが起業家精神を強調
アドビの航空部門シニアディレクター、キャンディス・コヴィントン氏、レインボー・ヘリコプターズのCEO兼創業者であるニコール・バチェス氏、そしてERAU卒業生でアマルフィ・ジェッツの創業者兼CEOであるコリン・ジョーンズ氏が、2025年エア・チャーター・セーフティ財団安全シンポジウムにおいて、学生主導のキャリアパネルディスカッションに参加しました。モデレーターは、学生のジュリア・デンティンガー氏(右)とアンダー・トゥルエーノ・ガルシア氏(写真外)が務めました。
航空チャーター安全財団 (ACSF) は、月曜日の夜に毎年恒例の安全シンポジウムを開始し、
業界の起業家 3 名によるキャリア パネルを開催しました。起業家 1 名は企業の飛行部門を
立ち上げ、もう 1 名は Part 135 事業を立ち上げ、3 名はチャーター仲介業者です。3 名は、
満員のエンブリー リドル航空大学 (ERAU) の学生を前にそれぞれの見解を共有しました。
ACSFは、安全サミットの開催地をバージニア州アッシュバーンからフロリダ州デイト
ナビーチにあるERAUキャンパスに移したことを受け、安全シンポジウムと並行してキャリア
パネルを開催するようになりました。ERAUの学生が司会を務めた今年のパネルには、アドビ
の航空部門シニアディレクターであるキャンディス・コビントン氏、レインボー・ヘリコプタ
ーズのCEO兼創設者であるニコール・バチェス氏、そしてERAU卒業生でアマルフィ・ジェッ
ツの創設者兼CEOであるコリン・ジョーンズ氏が登壇しました。3人の講演には学生から多くの質問が寄せられ、セッションは予定時間を30分も超過しました。
コヴィントン氏は2019年にアドビに入社し、同社初のジェット機であるガルフストリーム
G650を運用する小規模な飛行部門を立ち上げました。現在、同部門は7名のチームで構成さ
れ飛行業務、整備、ディスパッチなど、飛行部門のあらゆる分野に携わっています。年間約400時間の勤務時間があり、そのうち半分強が海外勤務です。
彼女は、フライト部門をゼロから立ち上げるという誘いを、データ主導の安全性、公正な文
化、そして誰もが「混乱」しながらも変化に影響を与えることができる環境に関する自分の価値観を浸透させる機会を与えてくれた、一生に一度あるかないかの機会だと語りました。
一方、バチェス氏は2011年にレインボー・ヘリコプターズを設立しました。同社は数十年
ぶりにこの市場に参入した大手航空会社です。レインボーは現在55名の従業員を抱え、
10機のヘリコプターを保有し、ハワイ全土で毎日35便を運航しています。空中ツアー、チャーター便、航空写真撮影などを行っています。
バチェス氏は、常に機会にオープンでいることの大切さを強調しました。彼女は、自身のビジ
ネス立ち上げのきっかけとなった予期せぬチャンスについて語りました。かつてパイロット
として勤務していた会社が倒産寸前だったのですが、その会社から初めてのヘリコプターをリースする機会を与えられたのです。
彼女はまた、当初資金調達を求めた際に23回も断られたものの、今では資金調達に成功してい
るという、粘り強さのストーリーも共有しました。コビントン氏の言葉を引用し、バチェス氏
は「拒絶は横目で見るようなもので、雪だるま式に大きくしてはいけない」という哲学を説明
しました。また、多くの人が通過したいと思っても数年後には留まらないかもしれない州でチームを構築する上で、安全性と文化という根底にある前提についても語りました。
「レインボー・ヘリコプターズを始めたのは27歳の時で、資本も支援も全くありませんでし
た。本当にゼロからのスタートでした」と彼女は語りました。「あの頃の楽しかったことの
一つは、とにかくワクワクして突き進んでいたから、競合他社のことなど気にも留めず、限界も気にせず、とにかくやり遂げたんです。」
一方、3人目のパネリスト、ジョーンズ氏は19歳の時にERAUの寮の一室で起業し、5年目を
迎えています。確立されたビジネスに若者が参入したため、懐疑的な視線にさらされました。
実際、彼は従業員よりも若いのです。しかし、彼はこの業界には何か違うものが必要だと感じ、前進しました。それは、保証金や事業者の開示義務をはるかに超える、認可仲介業です。
他の企業と同様に、安全は同社にとって最優先事項であり、全従業員がパート135規則を理解
するための研修を受けることが義務付けられています。また、危険信号となる可能性のある
オペレーターからの採用は拒否されます。「安全は単なるキーワードではなく、文化です」とジョーンズ氏は強調しました。
「起業家になるというのは、とても大胆なことだと感じています」と彼は言った。「自分の会
社で起業家として働くことを真剣に考えると、本質的には『市場を見ています。歴史が古く、
十分なリソースと資本を持つ企業を見ています。そして、私たちの方がうまくできるのではないかと考えています』と言っているようなものです」
同氏は、仲介市場には激しい競争があるが、その業界の多くの人は航空機やチャーターに関する深い知識を持っていないと認めました。
パンデミック中に会社を設立したジョーンズ氏は、当初はリモートワークを採用していまし
た。しかし、現在ではこれが多少物議を醸していることを認識し、現在はスタッフにオフィス
勤務を義務付けています。ジョーンズ氏は、チームワークを大切にすることのメリットをいく
つか強調しました。同社は現在、1万平方フィート(約900平方メートル)の施設に移転中です。「私たちはここを『ビッグ・クリエイティブ・スタジオ』と呼んでいます。」
同社は多忙を極めています。日曜日には、3大陸で12便のフライトを運航していました。彼は
この成功の一因をソーシャルメディアでの存在感にあると見ています。「私たちと直接競合す
る企業で、ソーシャルメディアで大きな存在感を示しているところは他にありません。すべて
のプラットフォームを合わせて350万人のフォロワーがいます。過去90日間で10億回以上のインプレッションを獲得しました。」
パネリストはERAUの学生たちに、面接では質問をし、その後にお礼状を送るようアドバイス
しました。安全性に焦点を当てていることを踏まえ、企業が安全管理システムを導入している
か、あるいは導入に向けて取り組んでいるかといった点を質問の一つとして挙げるべきだと提
案しました。もし導入していないのであれば、それは適切な機会ではないかもしれない、という点については学生たちも同意しました。
まとめ
日本でのベンチャー企業の数は諸外国と比べても比較にならないほど数少ないのが実状です。
その理由としては、資本投資家が少ないことが上げられます。日本人は、極めて勤勉で真面目です。
そもそも、借金をして事業を興すことに抵抗があります。今から400年前の戦国、江戸時代に遡りますと、『士農工商』という階級制度が日本にありました。
この制度は、お百姓さんなら一生農業しかできませんでした。その流れが明治から現代に至るまで日本人の根底にあるのです。
昭和の初期、サラリーマンの家庭で育った子ども達は親と同じサラリーマンや公務員といった安定した職業に就くことが当たり前のように求められていました。
当然起業家としての教育などは学校ではやりません。まして家庭でも社長の家くらいしか教えられることはありません。
世界では小さい頃から家庭で金融教育や起業家としての教育が行われています。
人間は、安定を求める傾向が強くあります。チャレンジするというリスクを負うことに抵抗があるのです。
特に日本の航空業界は、資金面でも運用面でもリスクが大きいと思います。そんな中でも、あらゆることに挑戦して『わくわく感』を味わってほしいと思っています。
日本での新たな起業家が多く生まれることを期待します。
それでは今日はこの辺で・・・
またお会いできる日を楽しみにしています。
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