皆さんこんにちは!
1964年10月12日は、ソ連のボスホート1号が宇宙へと到達した日です。
ソ連、ボスホート計画
ソビエト連邦のボスホート1号は、初めて複数の人間を宇宙空間に送りました。
また初めて宇宙服を使わずに飛行した宇宙船です。ボスホートはロシア語で
日の出という意味です。この飛行では336kmという当時、最遠距離の記録が
樹立されました。複数の人間を宇宙空間に送ることを計画したアメリカの
ジェミニ計画に対抗して始めらました。
ボスホート1号は、3人乗りとしては小型であり、乗組員のための3体の宇宙服
は省略され、乗員区画の大きさやペイロードに余裕はありませんでした。
もともとボスホートは2人乗り用として設計されていましたが、ソビエト連邦
の政治家の圧力で3人乗りとなりました。その後、ボスポート計画は短期間で
終わり、ボスホート1号の他は、2人を乗せたボスホート2号しか飛びません
でした。
宇宙競争時代
1960年代から、アメリカとソ連は競って宇宙へと進出して行きました。
それから今日までの歩(あゆみ)を見ていきましょう。
■有人宇宙飛行黎明期:米ソ競争の時代(1960 – 1970)
米・ソ冷戦を背景として、軍事的優位性と国家威信をかけて、米・ソが有
人飛行を競い合いました。この時期前半は、有人初飛行、初宇宙遊泳など
ことごとくソ連が先手を取りましたが、月着陸競争でアポロ計画により
米国が初めてソ連を追い抜きました。
■ミールとスペースシャトル(1970 – 1980)
1970年以降、冷戦の緊張緩和が進むにつれ有人宇宙開発での米・ソ競争も
衰退し、米国は巨額のアポロ計画を中断しました。
ソ連も有人月面着陸を断念し、地球低軌道での宇宙ステーション(サリュート
→ミール)に専念するようになります。
米国も宇宙実験室(スカイラブ)を打上げて暫く運用するも、宇宙開発予算
の削減を目指して再使用可能なスペースシャトル開発に乗り出しました。
■国際宇宙ステーション(ISS)の時代(1980 -)
米国は、開発したスペースシャトルを利用するとともに、1980年代に入って
再び政治緊張が高まってきたソ連への対抗から西側緒国に国際宇宙ステーショ
ン(ISS)計画を提案し、これに欧州、日本、カナダが参加することとなりました。
しかし、1988年の旧ソ連の崩壊後は、自由主義経済へのロシア加盟、ロシアの
有人技術の活用などの観点から、1994年ロシアはISSに参加することとなりま
した。これにより有人宇宙開発での国際協力が本格化しました。
■中国の台頭、民間有人飛行の萌芽(2000 -)
中国は2003年に有人初飛行を達成し、世界で3番目の有人飛行達成国となりま
した。「国家独自の科学技術力の向上」が公式な目的であるが、国威発揚的な
要素も大きいと推測されています。
一方で、米国等では有人宇宙技術の民間への移転が進み、次々に有人宇宙飛行
を目指す企業が出現しています。
■有人月・惑星探査の時代(2020 -)
2004年1月に米国は新宇宙政策を発表し、有人月面探査の再開と将来的な火星
への有人飛行実現を目指すことにしました。これは、世界の宇宙開発のリーダ
ーシップ維持、ISSに続く大型有人プログラムによる技術力の維持、宇宙開発産
業の維持発展などが背景にあると言われています。一方、欧州では、2000年の
EU会合で採択されたリスボン戦略(欧州を世界で最もダイナミックな知識社会
にする)に則り、最終的に有人火星探査を目指すオーロラプログラムが開始さ
れました。
日本の取り組み
イプシロンロケット
JAXAはイプシロンSロケットの開発及び開発したロケットを用いた打上げ
輸送サービス事業に関する基本協定を株式会社IHIエアロスペースと締結
しました。
イプシロンSロケットは、JAXAが開発した強化型イプシロンロケットをも
とに、現在開発中の大型液体ロケットであるH3ロケットとのシナジー効果を
発揮させて国際競争力を強化することを目的としたロケットです。
今までのH2ロケットは、成功率は高かったものの打ち上げコストが他の
国のロケットと比べてかかっていました。課題はコストでした。そこで
イプシロン計画として、コストを低減させ、更に性能も上げるという難しい
ことに挑戦しています。
残念ながら、本日打ち上げたイプシロン6号機は失敗に終わってしまいました。
まとめ
若田光一さん(59)と米露3人の飛行士を乗せた米スペースX社の宇宙船
「クルードラゴン」5号機が日本時間6日午前、米フロリダ州のケネディ宇宙
センターから打ち上げられ、7日午前、国際宇宙ステーション(ISS)に
到着しました。
アメリカとロシア、現在は第2次世界大戦後の冷戦のような状態が続いて
いますが、せめて宇宙では仲良くしてもらいたいです。同じ人類ですから。
ガガーリンが残した名台詞、『地球は青かった』のとおり、平和な地球を
目指していきましょう。
それでは今日はこの辺で・・・
またお会いできる日を楽しみにしています。
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