巨星墜つ・松本零士さん死去

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皆さんこんにちは!

今月13日に、漫画家の松本零士さんがお亡くなりになられました。85歳でした。

今日は、松本零士さんの足跡を辿りながら、故人を偲びたいと思います。

どうぞ、お付き合いください。

松本零士(まつもと れいじ)

漫画家・松本零士

漫画家、松本零士(本名:晟 あきら)氏は、1938年(昭和13年)に福岡県

久留米市で生まれました。

父親の松本強氏は、旧陸軍のテストパイロットをしていました。幼い頃から空に

憧れて、身近で多くの飛行機を見てきたことが、その後の漫画家としての原点

だったと思います。

終戦後の小学校三年から疎開先の愛媛県から福岡県小倉市(現在の北九州市)に

移ります。この頃から零士氏は、漫画を描き始めています。同人グループ「九州

漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。

零士氏が漫画家を志した理由は彼が小学二・三年の頃にあった学級文庫です。それ

は手塚治虫の漫画『新宝島』『キングコング』『火星博士』『月世界紳士』でした。

1954年(昭和29年)の高校1年生の時に、投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』

(昭和29年2年号)に掲載され漫画家としてデビューすることになりました。

高校卒業後の1957年(昭和32年)に上京。松本あきらの名前で、少女漫画家として

出発しました。

その後、同期(同い年)の石ノ森章太郎氏と共に手塚治虫氏のアシスタントを経験

しながら、『男おいどん』や『銀河鉄道999』、『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』

などの有名な作品を世に送り出します。

ちなみに、1965年(昭和35年)に今の松本零士に改名しています。

代表作品(推し)

ここからは、松本零士氏の作品の内で、私が推す作品を紹介します。

男おいどん

零士氏の初期の作品の中では一番の漫画です。この漫画のヒットのおかげで、後の

『宇宙戦艦ヤマト』などのSF漫画(アニメ)に繋がっていくのです。

男おいどんは、1971年5月9日号-1973年8月5日号の『少年マガジン』に連載されま

した。

老朽下宿で四畳半の部屋を借りて極貧生活を送る大山昇太を主人公とし、彼を取り巻

く人々の生活を描いている作品です。元々は、『大四畳半シリーズ』として青年誌に

掲載されていました。少年誌に連載することになり、内容を少年向けにアレンジした

作品となっています。

田舎から上京して来た足立 太(あだち ふとし)が、下宿の四畳半中心に展開する青春

物語。時は1970年代、場所は東京の文京区本郷。「無芸大食人畜無害」を信条とし、

貧しくも概ね正直に浪人生活を送り続けるチビでガニ股・ド近眼・醜男・サルマタ怪人

とまで呼ばれる大山昇太の周囲には、なぜか様々な女性があらわれては通り過ぎてゆく

とうい物語です。

主人公の、貧困でも前向きな姿勢が読者に受けてヒットしました。主人公の太は、零士氏

とも言われています。設定も、太は久留米市から上京しており、零士氏も同じく本郷の

四畳半に下宿していました。また、ド近眼というのも零士氏のことであり、視力が悪い

ために父親と同じパイロットの道を諦めた悔しい気持ちも込められています。

毎回、美しい女性が登場します。結局、太とは結ばれないのですが、その展開にドキドキ

しました。松本作品で登場する女性は、目鼻立ちがはっきりとして、身長も高く美人です。

零士氏は、過去のインタビューの中で、描く女性像についてこの様に述べています。

『私の祖母は、大洲藩の流れをくむ侍の家の出で、凜とした女性でした。ある時、友人から

明治維新の頃に撮影されたと思われる1枚の女性の写真を見せられました。見たこともない

女性です。でもその瞬間、僕はこの女性を、無意識に描き続けてきたのだと本能で感じまし

た。写真の女性は、その先祖と縁の深い立場にいた方のようでした。まさに、DNAのなせ

る業です。』(週刊朝日2015年7月17日号の記事より)

この様に、零士氏は、あるべき日本の女性を描いていたのでしょう。

ザ・コクピット

ザ・コクピットは、戦場まんがシリーズとして小学館の『週刊少年サンデ』に不定期

連載された作品です。1969年 – 1989年の20年間で、全50作品発表されています。

後に9巻のコミック本にまとめられて、戦場まんがシリーズとなりました。

代表作には、『スタンレーの魔女』、『鉄の墓標』『我が青春のアルカディア』などが

あります。

私の一推しの作品は、音速雷撃隊(おんそくらいげきたい)です。

『週刊少年サンデー』(小学館)にて1974年15号に掲載されました。コミック本では

第3巻「オーロラの牙」(初版 1976年1月15日)に収録されています。

ストーリーは、第二次世界大戦末期、「人間爆弾」と揶揄された特攻兵器である桜花と、

その搭乗員、そして桜花の運用母機となった一式陸攻搭乗員たちの悲壮な戦いを描いた

作品です。ただ単純に搭乗員たちの奮闘をヒロイックに表現するばかりではなく、敵役

となる米軍の視点に立った描写もあり、敵味方関係なく感じられる普遍的な戦争の無常

感や侘びしさを描いています。

この作品の原点は、零士氏の父の強氏の特攻に対する経験です。大戦後半、父、強氏は

第32教育飛行隊の隊長として、特別操縦見習士官や少年飛行兵出身の新参パイロットの

教育を行っていましたが、課程を終え実戦部隊に転出した部下には後に特別攻撃隊の隊員

として出撃していった者も少なくありませんでした。また、実際の戦闘で、相手機を撃ち

落とすときにパイロットの顔がはっきりと見えたそうです。そのパイロットには、自分と

同じ様に家族がいることをわかりながら、引き金を引くことへのむなしさ、戦争の悲惨さ

を痛感したと言います。こうした父からの思想を受け継ぎ、戦場まんがシリーズ・ザ・

コクピットが作られたのです。

後にOVAとして、映像化されています。

このザ・コクピットシリーズに出てくる飛行機や戦車など、メカニックな作品は細部まで

丁寧に描かれています。これらは、私が飛行機に憧れたきっかけになりました。

アシスタントだった漫画家の新谷かおる氏(ファントム無頼、エリア88の作者)は、

零士氏に『作中の飛行機や戦車は小道具や大道具では無い。一つのキャラクターで

主人公と運命を共にする友達なんだ』と言われたそうです。それだけ、メカを愛して

いたという証拠です。

その他、キャラクター

零士氏の作品は、『銀河鉄道999』や、『宇宙戦艦ヤマト』など大ヒット作品に代表

されるように宇宙をテーマにしたものが多く見受けられます。

やはりパイロットであった父親の影響が大きいと思います。

こんなエピソードも残っています。

父、強氏は、終戦後、仲間が自衛隊に入って飛行機に乗ったりしていましたが、それを

断り田舎で自給自足の生活をしていたそうです。理由は、敵の飛行機(自衛隊はF86な

どアメリカ軍の戦闘機を使っていました。)には、乗りたくないというものでした。

家庭は収入も無く貧しかったのですが、零士氏はそんな父親を尊敬し、誇らしく思って

いたそうです。父親を『本物のサムライ』だと尊敬していたと言います。

『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長やハーロックのモデルになったとも言われています。

後のインタビューの中でもこの様に語っています。

『特に、長年軍人として、日本人として強くあり続けた父『松本 強』に『日本の侍』のイ

メージを強く受けていました。なので、宇宙戦艦ヤマトに登場する沖田十三は、私の父を

イメージして描いています。名前は私が好きだった新選組の沖田総司と当時SF作家とし

て有名だった海野十三からいただきました。』

信じたことにブレがない

今日の読売新聞の文化面の記事の中で、漫画家、新谷かおる氏が松本零士さんの訃報に

触れて故人を偲んでいます。

新谷かおる氏は、松本零士さんのアシスタントとして長年修行され、零士氏を師匠と

呼んでいます。そんな新谷氏が零士氏の『ブレないこと』についてのお話です。

一部抜粋しています。

”先生は自分に信じたことにブレない人で、『男は~』『男のロマンは~』が口癖。

『男は負けるとわかっていてもやらなければならない戦(いくさ)がある』と突然言い

出したこともあります。

夏に伊豆や千葉に行った社員旅行も時に、酔っ払って『先生がいつも言っている男の

ロマンって何ですか』って無礼講で聞いたんです。しばらく考え込んだ先生は、

首まで泥水につかっていても、星を見上げようとすることだ』と答えてくれた。

そのときから、自分が師匠と呼べるのは、この人しかいないと思っています。  ”

最後に

” ハーロックの乗船、アルカディア号で副長を務めるプラモデル作りで多忙なヤッタラン

は、僕(新谷氏)がモデルです。艦長の松本先生は新しい旅に出てしまった。副長の私は

しばらくこちらで旅を続けます。いずれそちらの世界の旅に参加しますと伝えたい。 ”

(読売新聞 2022年2月19日朝刊 文化欄『松本零士さんを悼む』より抜粋)

まとめ

今回の松本零士さんの記事を書いていて、改めてその偉大さを感じています。

一つ一つの作品が思い出され、その当時に読んだ感情、そして今思い出して

みてわかる感情、どれも松本零士さんが読者に伝えようとしたことがわかります。

こんなに世界中に愛された漫画家はいないと思います。

今回ご紹介できなかった作品も多いですが、皆さんの中にある松本零士を思い出して

ください。それが、松本零士さんの弔問になります。そして未来に語り継ぎ、残して

行くことが大切だと思います。

 

それでは今日はこの辺で・・・

またお会いできる日を楽しみにしています。

 

 

 

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