フランスと日本を結ぶ赤い翼プロジェクト

飛行機

皆さんこんにちは!

フランスから日本へ、約90年前のフランスの冒険飛行家アンドレ・ジャピー氏の飛行機を

再現して、実際に飛行させるその名も『赤い翼プロジェクト』について。

赤い翼プロジェクト

赤い翼プロジェクト発足

1936年11月フランスの飛行士アンドレ・ジャピーが挑戦した単独搭乗によるパリー

東京100時間飛行への挑戦は、達成目前に悪天候に阻まれ九州の脊振山中への墜落により

成し遂げられませんでした。パリー東京100時間飛行への挑戦を成し遂げようとするプロ

ジェクトが日仏でスタートします。

1936年、脊振山中に墜落したフランスの冒険飛行家アンドレ・ジャピー氏(1904~

74年)の飛行機を復元して佐賀―東京間の飛行の実現を目指す「赤い翼プロジェクト」の

日仏の有志グループが4月24,25の両日、東京都内と佐賀県庁で記者会見を開きました。

「プロジェクトを通じて日本とフランスの子どもたちを結び付けたい」と意気込みを語り

ました。

ジャピー氏の兄の孫に当たるニコラ・ジャピー氏らが出席しました。プロジェクトでは、

モロッコで発見されたジャピー機と同型の「コードロン・シムーン」の復元を進めています。

当時の部品を使いつつ、現代の技術を取り入れて安全な飛行につなげる。ニコラ氏は「機体

の図面は戦争中に爆撃で燃えて失い、他に残っている機体もないので、手探りで学びながら

進めている」と説明しました。

墜落時、ジャピー氏を旧脊振村の住民が救いました。ニコラ氏が2014年に来日した際に

神埼市脊振の人たちと交流し、「人々の記憶にこれほどまで(救出が)刻み込まれていると

は知らなかった」と感銘を受けたといいます。救出劇を題材にした児童向け図書のフランス

での版権を買い取り、子どもたちに配っていることも会見で紹介した。

プロジェクトは今後、フランスで飛行に必要な手続きを進め、飛行実績を重ねて日本での飛行

許可の手続きに進む。25年以降に、ジャピー氏が成し遂げられなかった佐賀―東京間の飛行

を予定。

現在復元中のコードロン・シムーン機(「赤い翼:パリ―東京」実行委員会提供 )

現在復元中のコードロン・シムーン機(「赤い翼:パリ―東京」実行委員会提供 )

記事は佐賀新聞からの内容を参照

パリー東京100時間飛行への挑戦

フランスでは歴史的航空遺産であるコードロン・シムーンの復元に向け2009年に

「コードロン・シムーン復元協会」が航空マニアの篤志家により設立され、世界に残さ

れた二機のコードロン・シムーンの一機を飛行可能状態に復元する計画が進められた結

果、2023年迄には復元機が航行できる状況となりました。

2024年はアンドレ・ジャピー没後50年、オリンピック聖火が東京からパリに引き

継がれる特別な年に当たり、これを記念してアンドレ・ジャピーや同時代のパイロット

の誰も果たせなかった夢を叶えるのが赤い翼プロジェクトの白眉であります。又これを

機に1910年以来、フランスからの技術移転をもとに発展した日本の航空機産業、多

彩なエピソードに満ちた日仏航空関係史を回顧し、アンドレ・ジャピーの救出を契機と

して盟約を結んだ神埼―ボークール姉妹都市が育んだ日仏友好の輪をさらに広げる数々

のイベントを目論んでいます。

フランスからの呼びかけに応じ、本プロジェクトの趣旨に賛同した23名の発起人は昨

年11月15日に「赤い翼:パリー東京」実行委員会を立ち上げました。

まとめ

本日、偶然にこのプロジェクトの関係者の方とお話することができました。

復元している航空機は、日本ではカテゴリーのないビンテージ航空機として特別に

許可が下りたことを伺いました。何かと制限の多い航空業界にあって、特に日本の

お役所(国土交通省)は世界でも輪をかけて規制が多くあります。以前お話しした

LSA(Light Sports Aircraft)においても規制だらけです。

今回は、フランスからの働きかけがあったのと機体の強度(耐空性)などがEUの

EASA(ヨーロッパ航空局)からのお墨付きがあったことが決め手になりました。

フランスと日本の架け橋になるようプロジェクト成功をお祈りしています。

 

それでは今日はこの辺で・・・

またお会いできる日を楽しみにしています。

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