津波防災の日

お天気

皆さんこんにちは!

今日は世界津波の日です。

津波防災の日

11月5日は、世界津波の日です。

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災を受けて同年6月に制定された

「津波対策の推進に関する法律」にて制定されました。

日付は1854年(嘉永7年)のこの日に発生した安政南海地震に由来します。

この地震は南海トラフ巨大地震の一つとされ、和歌山県など紀伊半島や四国など

を大津波が襲いました。大津波が和歌山県広村を襲った際、庄屋・濱口梧陵が

収穫されたばかりの稲わらに火をつけて、暗闇の中で逃げ遅れていた人たちを

高台に避難させ命を救った「稲むらの火」の逸話が残っています。

稲むらの火

一人の老人が地震後、津波が襲ってくると予感し、収穫した大切な稲むらに火を

放ち、多くの村人を救った感動の物語です。

舞台は紀州有田郡湯浅廣村(現在の和歌山県有田郡広川町)で、主人公の五兵衛は

実在の人物です。モデルは紀州、総州(千葉銚子)、江戸で代々手広く醤油製造業

を営む濱口家(ヤマサ醤油)七代目当主の濱口儀兵衛(1820~1886年)。

儀兵衛は佐久間象山に学び、勝海舟、福沢諭吉などとも親交を結ぶ。地震発生前

にも私財で「耐久社」(現県立耐久高校)や共立学舎という学校を創立するなど、

後進の育成や社会事業の発展に努めた篤志家。地震発生当時34歳の働き盛り、

自らも九死に一生を得た後、直ちに救済、復興対策(橋梁、堤防構築、失業対策等)

に奔走します。

翌年から4年の歳月、延べ人員56,736人、銀94貫の私財を費やして

全長600m、幅20m、高さ5mの大防波堤「広村堤防」を築きました。

これは津波で職を失った人を助けるとともに、1946年(昭和21年)に発生

した昭和の南海地震津波から住民を守り抜いたのです。

この物語が国内はもちろんのこと海外にまでも有名になったのは、小泉八雲

(パトリック・ラフカディオ・ハーン:1850~1904)の功績です。

1897年、八雲がボストンとロンドンで同時に出版した著書『仏の畠の落穂』の章

で、儀兵衛の活躍が綴られています。

八雲が書いた物語は、それから40年後、梧陵と同郷の小学校教員(後に校長)

中井常蔵氏(1908~1994)の手で書き改められ、1937年(昭和12年)

小学国語読本となって全国の小学校に登場し、約1000万人の児童に感銘を与え

ることになります。

南海トラフ地震

政府の中央防災会議は、科学的に想定される最大クラスの南海トラフ地震(以下、

「南海トラフ巨大地震」という)が発生した際の被害想定を実施しています。

 この被害想定によれば、南海トラフ巨大地震がひとたび発生すると、静岡県から

宮崎県にかけての一部では震度7となる可能性があるほか、それに隣接する周辺の

広い地域では震度6強から6弱の強い揺れになると想定されています。

また、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10mを超える

大津波の襲来が想定されています。

想定震度分布

南海トラフ地震の予想震度分布

想定津波高

南海トラフ地震の津波の高さ
対処は?

内閣府は、南海トラフ地震に備えてこのようなパンフレットを出しています。

事前の準備をしておくことが大切です。

南海トラフ地震臨時情報とは?

南海トラフ地震臨時情報」は、南海トラフ沿いで異常な現象を観測された場合

や地震発生の可能性が相対的に高まっていると評価された場合等に、気象庁から

発表される情報です。情報名の後にキーワードが付記され「南海トラフ地震臨時

情報(調査中)」等の形で情報発表されます。

気象庁において、マグニチュード6.8以上の地震等の異常な現象を観測した後、

5~30分後に南海トラフ地震臨時情報(調査中)が発表されます。その後、

「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の臨時会合における調査結果を

受けて、該当するキーワードを付した臨時情報が発表されます。

政府や自治体から、キーワードに応じた防災対応が呼びかけられますので、

呼びかけの内容に応じた防災対応をとってください。

注意点(津波防災3箇条)

1,グラッときたら、津波警報

地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸周辺や

海岸近くの河川周辺にいたら、津波警報と思って直ちに高台に避難することです。

津波や洪水は『早期避難に勝る対策は無し』『妻に焼こうズイは逃げるが勝ち』

です。小さな揺れだからと言って油断せず、テレビやラジオで情報を確認してく

ださい。

2,俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ

 津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引い

てから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。

また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に

最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「ここは過去

津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。防災訓練と思って

声を上げながら、駆け足で避難してください。

3,できるだけ早く高台へ、無理なら近くの高いビルへ

  車は使わず・遠くより高く、一度避難したら戻らない

『津波は高台に逃げるが勝ち』、しかし海岸付近にいて高台まで避難できそうも

ないときは、ビルの4階以上に避難することです。地域によっては海岸線にある

ビルの協力を得て津波避難ビルとしたり、津波シェルターを設置しています。

車で避難するのは条件付きで危険です。北海道南西沖地震(1993年)のとき

奥尻島では車で避難しようとする人たちが続出し、狭い道路が渋滞しているとき

に津波に襲われて、車ごと津波にのみ込まれて多くの犠牲者を出しました。

(しかし高齢者や障害者は短時間に高台に避難するには車しかありません。

ですから健常者は駆け足で避難して要援護者の車が渋滞しないように心掛ける

必要があります)

いったん避難したら、第1波が小さかったとしてもけっして自宅に戻ったりしない

ことです。津波は繰り返し襲ってきます。警報が解除されるまでは念のため避難

続けてください。

 

それでは今日はこの辺で・・・

またお会いできる日を楽しみにしています。

 

 

 

 

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