羽田空港

飛行機

皆さんこんにちは!

昨日8月25日は、東京国際空港(羽田空港)が正式に開港してから92年目を

迎えた日でした。今や日本の玄関と言われる羽田空港の昔と今を見ていきます。

歴史

空港建設から戦後まで

江戸時代後期には羽田村の干潟が新田開発を目的に開拓されました。ちなみに、

羽田という地名の由来は、海老取川を挟んだ土地の形が鳥の羽のように見える

肥沃な田地だったこと(はりた)から転じてつけられました。また、鳥の羽が

落ちる田地だったからともいわれています。

1917年(大正6年)に日本飛行学校が穴守(現在の東京都大田区穴守近く)

に開校されました。多摩川河川敷を滑走路として使用していました。当時、民

間航空会社は立川陸軍飛行場を使用していましたが、軍民共用のため制約が多

くありました。そこで、都心に近く輸送の利便性を考え、羽田の干拓地北側

(現在の整備場地区)に空港を建設することになりました。

1930年1月から飛鳥組(現在の飛鳥建設)が、空港の建設を始めました。

翌年の1931年8月25日に民間飛行場として羽田飛行場が開港しました。

滑走路の長さは300m、幅は15mのとても短いもので、当時は管制塔もあり

ませんでした。9月には税関施設ができ、翌年には気象台羽田出張所が開設され

航空気象観測が行われるようになりました。1937年5月に欧亜連絡飛行を行

った神風号の帰港地に、1939年8月には国産飛行機として初の世界一周飛行

に挑んだニッポン号の発着地になりました。同年には全長800m、幅80mの

滑走路2本が十文字型に配置される様にレイアウトされました。

終戦後から現代

第二次世界大戦(大東亜戦争)時は軍の飛行場として使用され、戦後はアメリカ

軍が新たな基地の滑走路として拡張工事を行いました。工事用地の近隣住民は、

強制的に立ち退きを命じられました。1946年6月には、旧A滑走路(全長

2000m、幅45m)と旧B滑走路(1650m×45m)が完成しました。

この時穴守稲荷神社の大鳥居だけは撤去されずそのまま残りました。その後の

1980年代から始まった羽田空港沖合展開事業で、この大鳥居は建設の障害に

なると理由で撤去される予定でしたが、1999年2月に800mほど南西の現

在の位置に移動しました。

1952年7月1日にアメリカ軍から日本政府に空港は移管され、空港名を東京

国際空港に改名しました。1960年代に入ると1964年の東京オリンピック

のための拡張工事が行われ、旧A滑走路は3000mに、旧C滑走路(3000

m×60m)の新滑走路が建設されました。

日本の高度経済成長もあって羽田空港の需要は限界に達しました。成田空港は、

建設反対運動が過激化して計画通りの運用には至りませんでした。そこで政府は、

1971年から羽田空港東側沖合を埋め立工事を行い、現在のA、B、C滑走路

を建設し、2010年にはB滑走路と平行なD滑走路を沖合に建設しました。

center of tokyo city and tokyo haneda international airport daytime aerial view from airplane - 羽田空港 ストックフォトと画像

羽田空港のこれから

2010年には、D滑走路と建設と同時に、国際線ターミナルである第3ター

ミナルが建設され、海外へのアクセスが便利になりました。

空港へのアクセスは、京浜急行電鉄と東京モノレールがあります。将来的には、

JR東日本が羽田空港アクセス線を計画しています。また新空港線(蒲蒲線)

として、JR蒲田駅と京浜急行蒲田駅を結ぶ路線も計画されています。

これまで右肩上がりだった、羽田空港の利用客数も2020年のコロナの影響

により大幅に落ち込みました。2018年には世界の空港ランキングが5位の

8600万人の利用者、2019年には8750万人を超え過去最高記録を更

新し続けていましたが、2020年には2300万人と大きく落ち込みました。

そして、2021年には1.4倍の2980万人まで伸びましたが、まだ本来

の回復までには至っていません。

2021年7月には、国際線ターミナルにビジネスジェット専用のゲートがオ

ープンするなど、いろんな方策を行っています。コロナの終息とともに、航空

需要は回復してくるとは思いますが、それまでに成田空港との連係の仕方や、

地方空港との棲み分けなどやるべき課題は多いですが、将来を見据えた政策、

インフラの整備、開発が必要となってきます。

穴守稲荷神社、大鳥居伝説

穴守稲荷神社は、1804年江戸時代に村の堤防が決壊して村人が稲荷神社を

祀って水害を治めたという神徳にちなんで建てられました。堤防に穴が開いて

も村を守るという意味で穴守とつけられたと言われています。

そして、戦後アメリカ軍が空港の拡張工事を行ったときに、この地にあった穴守

稲荷神社を移転させ、大鳥居を撤去しようとしたのですが、事故が相次ぎこの

大鳥居は撤去されずに残りました。その後の沖合拡張工事の時も撤去するという

話は出たそうですが、結局は現在の位置に移動させています。本当にタタリ

あるかどうかはわかりませんが。

旧穴守稲荷神社大鳥居

 

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