皆さんこんにちは!
今日は何の日シリーズです。そんなのシリーズ化するなと怒られそうですが・・・
1944年8月16日は、ドイツ帝国軍のユンカースJU287が初飛行した日です。
ユンカースJU287爆撃機
ユンカースJU287爆撃機は1944年8月16日に初飛行を行いました。残念な
がら、1号機、2号機(どちらも試作機)しか造られませんでした。ユンカースJU
287は4基のジェットエンジンを搭載した爆撃機として、ドイツ帝国が開発しまし
た。全長18.3m、翼幅20.11m、搭乗員は2名です。最大速度は780km
/h、巡航高度は9400m(30000フィート)、航続距離1570kmです。
爆弾は4000kg搭載予定でした。
特徴は、前進翼を採用しており、翼の下にエンジンを1基ずつ、コックピット後方の
胴体に左右1基のエンジンを搭載した形になり革命的な機体で設計でした。
その当時のイギリス空軍のスピットファイアの最高速度は562km/hと言われて
います。ユンカースJU287爆撃機は敵の戦闘機よりも速い設計になっていました。
ちなみに、2号機は各翼の下に3基のエンジンを搭載する予定でした。開発途中で、
工場が攻撃され、旧ロシア軍に奪取されてロシアで残りの開発が行われました。
ドイツ帝国のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262の最高速度は860km
/hを超えていました。零戦の最高速度は565km/h。アメリカのロッキード
P-39ライトニングは640km/hで当時のレシプロ機最速でした。
日本初のジェット戦闘機
橘花(きっか)
第2次世界大戦末期に大日本帝国海軍が開発した双発のジェット戦闘機が橘花(き
っか)です。1945年8月7日に初飛行を行い、終戦日の8月15日にその短す
ぎる命を終えました。完成機は2機だけで、1回の試験飛行(飛行時間は12分間)
で終わってしまいました。計画上の最高速度は676km/hでした。
橘花は当初、ドイツ帝国のメサーシュミットMe262のエンジンや胴体部分の設
計図を譲り受けて開発しようとしましたが、設計図が輸送中に紛失してしまい結果
として日本独自の設計となり、日本初のジェット機が誕生したのです。
機体の製造は中島飛行機が担当しました。エンジンはターボジェットエンジンです。
終戦後、アメリカ軍に摂取されて開発中の機体はアメリカのスミソニアン博物館で
復元され展示してあります。
桜花(おうか)
戦闘機ではありませんが、特殊滑空機の桜花(おうか)がありました。エンジンは
固体ロケットエンジンで、母機(一式陸攻)から発射され、水平時の最大速度は
648km/h、航続距離は37kmと短いものでした。
桜花は10回の出撃で、桜花パイロット55名、母機の一式陸攻365名の戦死者
に対し、アメリカ軍は1隻の撃沈を含む計7隻の損害、149名の戦死者を出しま
した。
戦後のジェット機の発展
大戦末期に実用化されたジェットエンジンは、直ちに軍用機に採用され、戦闘機や
爆撃機はジェット化されていきました。やがて、1954年にボーイング707
の登場で民間航空機もジェット化の幕開けとなります。
1960年代に入ると航空機も大型化して、1969年にはボーイング747ジャ
ンボジェット機の登場、同じ年に超音速型ジェット機コンコルドが初飛行を行いま
した。そして、現代のエアバス380へと繋がっています。
まとめ
人類は、戦争という悲惨な経験から今の当たり前の技術を享受しています。
戦後も多くの航空事故が起こってきました。先人たちの尊い犠牲の上に今の
安全な生活があることを忘れてはなりません。
それでは今日はこの辺で・・・
またお会いできる日を楽しみにしています。
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