ホンダジェット、生誕20周年

飛行機

皆さんこんにちは!

明日、12月3日はホンダジェットが初飛行してから20周年の節目になります。

20年前の2003年、ホンダジェットはライト兄弟が世界で初飛行した1903年12月17日の

100周年に間に合わせるように開発を急ぎました。そして・・・

HondaJet プロトタイプの初飛行

3 年間にわたる熱心な努力の末、HondaJet のプロトタイプが空へ飛び立った

HondaJet の概念実証プロトタイプ 2003 年

3 年間にわたる熱心な努力の後、HondaJet の概念実証プロトタイプは 2003 年に空に飛びました。(写真: HondaJet)

20年以上前、ノースカロライナ州グリーンズボロのピードモント・トライアド国際空港

(KGSO)にあるアトランティック・エアロFBOの格納庫の密室で、エンジニアと技術者の

チームが奇妙な構成の双発超軽​​量ビジネスジェットを組み立てました。これは、ベストセラ

ーとなるホンダジェット超軽量ジェット機の概念実証 (POC) プロトタイプでした。チーム

の研究は 2003 年 12 月 3 日に最高潮に達し、POC が飛行し、新しいビジネス ジェット

ファミリーが誕生しました。

ホンダのチームは、1903 年 12 月 17 日のライト兄弟の初飛行から 100 周年までに POC

を飛行させるという目標を達成するために残業をしました。かもしれない」と、初飛行を

目撃した多くの従業員のうちの一人であるエンジニアリングコンサルタントのデビッド・

ダナー氏は回想しました。「たくさんの問題がありましたが、なんとかすべて乗り越えて

この日を迎えました。

「これはエンジニアと技術者の比較的小規模なチームで、この日の準備のために少なくと

も過去 10 か月間、場合によってはそれよりも長い間、熱心に働いてきました。

多くの場合、1日の労働時間は14時間、16時間を超え、夜遅くに帰宅し、翌朝急いで仕事

に戻りました。やるべきことがたくさんあったので、私たちは仕事に戻るのが待ちきれま

せんでした。これほど決意が強く献身的なチームと一緒に仕事をしたことはありません。

誰もがその日の問題を解決するためにお互いを助けようという精神を持っていました。

それは本当に刺激的で、より良いエンジニアになりたいと思うようになりました。」

もう一人の目撃者、ホンダ・エアクラフトの次期航空機ホンダジェット・エシュロンの配

線設計・設置チームを率いる電線設計の技術専門家デイブ・クブラル氏は、POCの初飛行

までのほぼ3年間の集中的な作業を回想しました。

「ここに着いたとき、 電気システムの図面はなく、概念的な回路図しかなく、ゼロから作

成しなければならないことに気づきました。なんて気の遠くなるような仕事でしょう!

どこから始めればいいのか頭を悩ませながら数日間ここを歩き回りましたが、私たちは歩

き、決して振り返ることはありませんでした。」

「ここグリーンズボロではプロジェクトの初期には非常に小さなグループがあり、日本で

より大きなチームが私たちをサポートしていました。設計段階の作業時間は連日早朝か

ら始まり、夕方まで延長されました。3 年間で、私たちは膨大な量の作業を完了し、限ら

れたスタッフで航空機の初飛行の準備を整えるという大きな課題を克服しました。

独自のエンジン構成

翼上に取り付けられた (OTWEM) ターボファン エンジンを搭載した 2 番目の量産ジェッ

ト機 (フォッカー VFW 614 と並ぶ) であるホンダジェットは、1986 年にホンダの航空機

エンジンの供給を支援する任務を負ったホンダの藤野道正氏の発案でした。そのモビリテ

ィ帝国に最後に欠けていた部分、それが航空です。藤野は何年にもわたって航空機の設計

を検討し、複合双発機 MH02 の飛行試験で最高潮に達しました。MH02 は、胴体上部に

取り付けられた翼の上部に 2 つのエンジンが直接取り付けられていました。 

彼は、その効率性と後部キャビンに追加のスペースを確保できるため、最終的に ホンダ

ジェット OTWEM 設計に落ち着きましたが、これが最良の構成であると本社を説得する

のは大きな課題であることが判明しました。 

「OTWEMは非常に物議を醸しており、あまり受け入れられていませんでした」と彼は

語りました。「私は技術的な詳細を含めて設計の長所と短所を説明し、このコンセプト

がライトジェットのコンセプトをどのように変える可能性があるかを説明しようとしま

した。しかし、上司にはそれが理解されませんでした。ある会合で彼は「これほど愚かな

技術者を人生で見たことがない」と述べたのです。 私はとても動揺し、失望しました。

会議の後、数日間オフィスに行かなかったのを覚えています。気分を変えようと東京の下

町を歩いたのですが、気づけばデザインのことばかり考えていました。このことから逃げ

ることはできないと悟り、デザインを証明することにしました。 

「私と私をサポートしてくれた数名のエンジニアは、目立たないように OTWEM の設計

に取り組み始めました。CFD [数値流体力学] シミュレーションと遷音速風洞を使用して、

OTWEM 構成による波の抵抗を低減するコンセプトを最終的に証明することができました。

空力弾性の設計手法も確立しました。アメリカ航空宇宙学会の航空機ジャーナルに論文を

投稿しました。査読者は、これは航空機設計に関連する発見であると私に手紙を書き、そ

の論文は出版されました。彼のコメントを見てとても興奮しました。OTWEM の空力およ

び空力弾性設計に関する出版された論文は、ホンダ自動車の経営陣にこの設計を提示する

ための強力な支持となりました。この点に到達するまでに 2 年以上かかり、最終的に ホン

ダジェットの OTWEM 構成が修正されました。POC HondaJet の初飛行に向けて一歩前進

することができました。」

フライトの前日に各チームは大事な日に向けて最終準備を行いました。次に電気チームの番

です。夜も遅くなりましたが、航空機ソフトウェアの最新バージョンをロードする必要があ

りました。すべてが順調に進んでいたのですが、問題が発生し、選択を誤って数時間遅れて

しまいました。この時点でストレスレベルは上昇し、数人の緊張した人々がコックピットで

私たちの肩の上に浮かんでいました。ベンダーからの技術サポートにより、航空機のソフト

ウェアをリロードし、必要なすべてのチェックを実行することができました。時刻は真夜中

で、フライトは午前 8 時に予定されていたため、航空機は準備が整い、出発の準備が整いま

した。しかし、その夜はあまり眠れず、午前5時30分に戻ってきて、飛行前にすべてがまだ

大丈夫であることを確認するために飛行機に火をつけました。

「大事な試合に向けてストレスレベルが高まっており、(私たちが)すべてを説明できてい

るかどうかを確認し、再確認していました。航空機の準備と準備が整い、パイロットと一緒

に飛行前に、飛行とあらゆるシナリオと手順を検討していました。

「初飛行を成功させたかったので、誰もが毎日ストレスと緊張を抱えていたと思います」と

エンジニアの真彦和久氏は振り返ります。

*OTWEM:エンジンを主翼上面に配置する搭載方式(Over-The-Wing Engine Mount)

ホンダ MH02

藤野道正の最初の設計はMH02であったが、生産には至らなかった。(写真:ホンダジェット)

ついに初飛行

その朝、テストチームは飛行機に向かって歩き出し、飛行機の両側には追跡機と報道ヘリ

コプターがいました。アトランティック・エアロとホンダの従業員が格納庫の外に並んで

いました。

「パイロットが点検を完了し、エンジンが始動すると、選ばれた技術チームが飛行試験制

御室で重要な航空機システムを監視していました。そこでは、すべての重要なデータがモ

ニターに表示され、追跡できるようになっていました。」とクブラル氏は回想しました。

藤野氏自身も外には立たず、管制室で乗組員に加わりました。「私は無線通信と遠隔測定

システムによって送信されるデータに集中しました」と彼は言いました。「滑走路に面し

た窓がなかったので、離陸、飛行、着陸を見ることはできませんでした。奇妙に思えるか

もしれませんが、私が取り組んできたプログラムの最初の飛行を自分の目で見たことはあ

りませんでした。なぜなら、常に航空機を監視していたからです。

「すべてのシステムがチェックアウトされ、飛行延長の決定が認められ、飛行は滞りなく

終了した」とクブラル氏は語りました。飛行機が無事に着陸した後は、皆にとって大きな

安堵感を覚えました。歓喜の気持ちです。無事に着陸できました。」

テストパイロットのリチャード・グリッターとデビッド・ポール・ウェスト(2021年に死

去)はPOCの操縦席にいて、KGSOの滑走路5(平行滑走路の追加後に5Rに変更されて以降)

から離陸しました。

「驚きはありませんでした」と藤野氏は述べました。「私たちはテスト用の詳細な飛行プ

ロファイルを定義し、飛行前にいくつかのコンピューターシミュレーションを行いました。

飛行試験は試験プロファイルに基づいて実施されました。初飛行後、パイロットたちはシミ

ュレーションに非常に近かったとコメントしてくれました。そのコメントは当社の技術者に

とって最高の褒め言葉だったようで、とても嬉しく、安心しました。」

「KGSO空港にあるNOAA(気象観測所)の屋上から、多くの人が初飛行を見守りました。

NOAAの屋上にいた人々は、あまりの興奮に飛び跳ね、屋根を突き破るのではないかと心配

さえした」とマヒコ氏は語りました。 「このような感動は、これまでになかったし、その後

も感じたことはありません。多くのエンジニアがうれし涙を流していると思います。涙が出

るほど感動する仕事に携わることができて幸せでした。」

「たくさんの笑顔とハイタッチが飛び交っていた」とクブラル氏は語りました。「達成した

ことを振り返り、祝い、振り返る時期が来ましたが、飛行範囲を拡大するために飛行回数を

増やすなど、達成すべきことはまだたくさんありました。もちろん、盛大なお祝いをしました。

それは当然のことだった。」

ダナーと同僚の従業員数名は、初飛行を見守るために小さな倉庫の屋上に登っていました。

「寒くて少し風が強かったので、飛行機が遅れるのではないかと少し心配していましたが、

そんなことはありませんでした。とても素晴らしく、みんなから歓声が上がり、大きな達成

感を感じました。着陸して格納庫にタクシーで戻った後、飛行機から降りてきたパイロット

たちに会い、彼らはそれぞれ大歓喜の中で空中に放り出されました。誰もが幸せで笑顔で笑

いました。そこに出席し、この歴史的なイベントに参加できたことは大変光栄でした。」

藤野氏によると、選手やコーチが空中に胴上げされるのは日本のスポーツの伝統であり、心

からの祝福とみなされており、観衆が熱狂的に藤野氏にトスを上げた様子が初飛行のビデオ

に記録されています。「準備はしていなかったが、私も空中に放り投げられた」と。「ビデ

オを見た日本の友人は、POC初飛行での『空中投げ』を見て非常に喜び、感銘を受けました。

なぜなら、日本だけでなくアメリカ国民も一緒にPOC初飛行の達成を祝福したと感じたから

です」日本のやり方。それは真に国際的なチームの成果を表しました。」

エシュロン・ライジング

ホンダジェットは、この20年間更に進化を遂げています。

2021年には、ホンダジェット・エリートS、翌年22年にはエリートⅡを発表しました。

性能は、飛躍的に向上し、最高高度は12,000m(390,000フィート)から13,000m

(420,000フィート)。

 

最大巡航速度も782km/hと30km/h以上の増速。
最大航続距離も2661kmと伸びたのです。

現在、ヨハンソンと飛行テストチームは、ホンダジェットの新しいオートスロットル

とガーミン オートランド システムの最終仕上げを行っています。そして次のプログ

ラムはすでに進行中。ホンダ・エアクラフトのエシュロンは、中型ジェット機の性能

を備えた大型キャビンの軽量ジェット機で、すでに購入者から350通以上の意向表明

書を集めています。「私たちはエシュロンプログラムの準備に多くの作業を行ってい

ます」と彼は言いました。「私たちの仕事は、(飛行機を)飛ばすずっと前から始ま

ります。」 

ホンダの専門知識を活用して、エシュロンのチームはホンダ北米オートモーティブデ

ザインの社内デザイナーと緊密に連携して内装を担当します。ホンダ エアクラフトの

最高商業責任者でエシュロン プログラムの責任者であるアモッド ケルカー氏は、「私

たちはホンダとして長期的なパートナーシップを常に信じてきました。そのため、ホン

ダと協力していきます」と述べました。スケジュールでは、エシュロンの認証は 2028

年に予定されており、予備的な設計レビューはすでに完了しています。新しいジェット

機は、OTWEM構成のウィリアムズ・インターナショナルFJ44-4Cエンジンを搭載します。

「私たちの最初のジェット機はクリーンシートの飛行機、クリーンシートのエンジンだ

ったので、数年の遅れが生じましたが、そのおかげで私たちは最良の教訓を学ぶことが

できました。」と彼は言いました。「そして、私たちは専門知識と才能を同じように保

持しているので、新しいプログラムがそれらの教訓をすべて考慮に入れていることを確

認しています。」

藤野氏が2022年3月に退任した後、後任となったホンダエアクラフトの社長兼最高経営

責任者(CEO)の山崎秀人氏は、新型ジェット機を市場に投入する機会を伺っています。

「今、ホンダチームとこのような取り組みができるのはとてもエキサイティングなこと

だ」と彼は語りました。「技術者の多く、当社のエンジニアの多くは、自動車分野に参

入するときに願望を抱いていました…おそらく航空分野が第二希望か第一希望だったの

でしょう。彼らはとても興奮しています。私たちは航空業界で何か新しいものを一緒に

創り出すという次の段階に本当に進もうとしていると思います。それがゲームチェンジ

ャーになることを願っています。」

エンジニアのマヒコは、ホンダ エアクラフトのエシュロン プログラムでの仕事を続け

ています。「飛行機を作りたい、飛ばしてみたいという社員の飛行機開発に対する熱意

は、POC HA-420型機の初飛行を体験した人たちから受け継がれており、20年経った

今でも変わらない」と同氏。 Honda Aircraft の関係者に深く根ざしています。Honda

に入社して、その仲間たちとともにホンダジェットエシュロンの開発に携わることがで

きて、改めてよかったと思っています。

4 つのエシュロンは、飛行試験プログラムと、地上で試験するためのアビオニクスおよ

びシステムを再現する統合試験施設に関与します。 

エシュロンの初飛行の操縦士が誰になるかについては、「誰が操縦するかを言うのは

少し時期尚早だ」とテストパイロットのヨハンソン氏は語りました。

HondaJet Echelon(飛行イメージ)

HondaJet Echelon(飛行イメージ)(写真:ホンダジェット)

まとめ

ホンダジェットエシュロンの性能は、最高高度14,300m(470,000フィート)、速度は

820km/hとさらに進化するのです。

2026年に初飛行、2028年に型式証明を取得する計画です。

ホンダジェット組立ライン

ノースカロライナ州グリーンズボロの組み立てラインを進むホンダジェットは、すでに新しいエシュロンの設計が始まっている。(写真:ホンダジェット)

ホンダジェットは、初飛行からまだ20年足らずです。まだまだ進化する飛行機です。

 

それでは今日はこの辺で・・・

またお会いできる日を楽しみにしています。

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