皆さんこんにちは。吉川哲也です。
今、連日TVのニュースを賑わせている話題と言えばイランのホルムズ海峡の封鎖による原油高騰です。これは、遠く離れている日本でもトップニュースです。
その影響は日本をはじめとする航空業界に暗い影を落としています。
世界が震えた「封鎖」
2026年2月28日。米国とイスラエルがイランへの軍事攻撃を開始した直後、イラン革命防衛隊は沿岸を行き交う船舶に航行禁止を通告した。
ホルムズ海峡は世界で供給される石油の約2割が通過するエネルギーの大動脈だ。封鎖前まで1日120隻が行き交っていた同海峡を通る船舶は、封鎖後わずか5隻にまで激減した。 Yahoo!ニュース
封鎖前の1月、WTI原油先物は1バレル72〜75ドルで推移していた。それが3月初旬には一時100ドルを突破した。 Jiji
そして今週、エネルギー市場調査会社FGEネクサントECAが衝撃的な予測を発表した。
ホルムズ海峡の封鎖が今後6〜8週間続けば、原油価格は1バレル150ドル、さらには200ドルまで急騰する可能性があるという。同社のフェシャラキ名誉会長は「毎週1億バレル、毎月4億バレルの原油輸送が滞っている。時間の経過とともに、市場の損失は天文学的な規模に膨らむ」と述べた。 Yahoo!ニュース
これはもはや「可能性」ではなく、「現在進行形」の脅威だ。
航空燃料が2倍以上に——業界を直撃した数字
航空業界への打撃は、すでに現実のものとなっている。
IATAの分析によると、ホルムズ封鎖前の2026年2月中旬、アジアにおけるジェット燃料価格は1バレル約88ドルだった。それが3月27日時点では209ドルまで跳ね上がった——わずか5週間で2.4倍の急騰だ。 Nikkei
ユナイテッド航空のCEOスコット・カービー氏は3月20日、ジェット燃料価格が「過去3週間で2倍以上に上昇した」と警告し、現水準が続けば年間で追加110億ドル(約1兆7,000億円)の燃料費が発生すると見積もった。キャセイパシフィックは3月の燃料コストが直前2か月の平均の2倍に達したとし、燃油サーチャージを3月中旬に2倍に引き上げた上、翌週さらに3分の1の追加値上げを行った。エアアジア、エールフランス-KLM、エア・インディアなども相次いで運賃引き上げや新たなサーチャージを発表した。 Nikkei
シンガポールが「グリーン」より「サバイバル」を選んだ日
この混乱の中で、象徴的な決定があった。
シンガポール民間航空局(CAAS)は3月25日、2026年4月の発券分から適用する予定だった世界初のSAF(持続可能な航空燃料)課税の導入を6か月延期すると発表した。
CAASのハン・コク・ジュアン局長はこう述べた。「シンガポールは航空脱炭素化に揺るぎなく取り組んでいる。しかし、現在の状況を踏まえた実際的な一時停止を取る」 Nikkei
新しいスケジュールでは、2026年10月1日以降に発券され、2027年1月1日以降に出発する航空券が課税対象となる。多くの航空会社が燃油サーチャージを引き上げる中、さらなるコスト負担が旅行需要に悪影響を与えることへの懸念から、現実的な対応が取られた。 Jiji
脱炭素という「未来への投資」が、エネルギー危機という「現実の危機」によって後退させられた瞬間だ。
日本は大丈夫か——原油輸入の94%が中東依存という現実
日本は原粗油輸入量の94%、LNGの11%を中東に依存しており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過している。官民合わせた石油備蓄は国内需要の254日分にあたる約4.7億バレルあるものの、日本政府はすでに民間備蓄の保有義務を70日分から55日分に引き下げ、さらに国家備蓄から1か月分の放出を決めた。日本の放出量は合計約8,000万バレル、45日分の供給量に相当する。 Jiji
日本と欧州を結ぶ路線の多くは、ドバイやドーハをハブとする中東経由便が大きなシェアを持っている。ホルムズ海峡周辺の空域制限により、これらの便は迂回ルートを取らざるを得ず、飛行時間の増加と燃料コストの上昇を招いている。日本の航空会社の燃油サーチャージへの本格的な反映は6〜7月発券分からとなる見込みで、まさにこれからが「痛みの本番」だ。 Jiji
日本の航空会社が今やっていること——「燃料を削れ」の最前線
こうした状況の中、日本の航空会社は今まさに、燃料コスト削減のあらゆる手段を総動員している。その手段の一つひとつを、解説しておきたい。
コスト・インデックス(CI)を0にする
航空機には飛行管理システム(FMS/FMC)があり、「コスト・インデックス(CI)」という数値を設定することで、燃費と速度のバランスを調整できる。
CIとは「時間コスト÷燃料コスト」で定義される数値だ。CIを低く設定するほど燃料を優先し、速度を落としてでも燃料消費を最小限に抑える飛行プロファイルとなる。逆にCIを高く設定すると燃料度外視でとにかく早く目的地に着くプロファイルになる。通常の運航では25〜80程度が標準的だが、燃料高騰時には各社がCI値を大幅に下げる。 Japan Research Institute
CIを0にした場合、FMCは「時間コストはタダ」と認識し、燃料消費を最小に抑えた飛行プロファイルをはじき出す。巡航速度が遅くなり、所要時間が延びようと、燃料の節約を最優先する。 Japan Research Institute
つまりCI=0は「定時性より経済性」の極限設定だ。普段なら「まずあり得ない」値だが、今の燃料価格水準では現実の選択肢となっている。
1エンジンでの地上走行(シングルエンジンタキシー)
ANAグループはすでに、地上走行時の片側エンジン停止(シングルエンジンタキシー)を実施している。離着陸時以外の地上走行では一つのエンジンを停止したまま走行することで燃料消費を削減する取り組みだ。 Sky-budget
双発機であれば、滑走路まで向かうタキシー中の片側エンジン停止は認められた手法だ。しかし問題は「いつ、どこで、どの状況でエンジンを再起動するか」の判断だ。万一の緊急事態に対するエンジン始動のタイミングが遅れれば、それは安全マージンを削る行為になりかねない。
早期加速上昇・逆噴射抑制・降下エネルギー活用
ANAでは早期加速上昇による巡航高度への早期到達、着陸後の逆噴射抑制、さらに地上電源や地上空調設備の活用などの多岐にわたる施策を推進。2024年度は約125,000トンのCO2削減を達成した。 Sky-budget
これらは環境対策と燃料節約が一致する「一石二鳥」の手法として積極的に推進されてきたが、今や緊急性をもって実施されている。
経済性と安全性——相反する命題
ここで、率直に問わなければならない問題がある。
「燃料を削る」ことと「安全を保つ」こと——この二つは、どこまで両立できるのか。
コスト・インデックスを下げると飛行速度が遅くなり、悪天候域や制限空域への対応余地が狭まることがある。また、シングルエンジンタキシーはタキシー中の安全マージンを一定程度減少させる。さらに「定時性より経済性」の方針は、パイロットに「時間的なプレッシャーを感じさせにくくする」という側面がある一方、運航管理部門と現場の間の意思疎通が十分でなければ、判断のズレを生む可能性がある。
コスト・インデックスはエアラインが自社の経営的要素を勘案して決める数字であり、飛行中にパイロットが勝手に変えることは原則として許されていない。燃料が高い状況下ではエアラインは低めのCIを設定し燃料コストの削減を図る一方、定時性確保という命題もあるため、そのバランスをとりながら設定する必要がある。 Japan Research Institute
問題なのは、このバランスが「経営の圧力」によって歪められるケースだ。燃料価格が2倍以上になった状況で、運航管理部門が現場パイロットに対して「とにかくCIを下げろ」「エンジンを止めて走れ」という一辺倒の指示を出せば、それは安全文化の侵食につながりかねない。
かつてコービー・ブライアントを乗せたヘリコプターパイロットが「クライアントの期待に応えたい」という自己誘発プレッシャーに屈したように、航空会社のパイロットが「会社の燃料削減目標に応えたい」という別のプレッシャーを感じ始めたとき、その先に何があるか——航空安全の歴史はそれを何度も教えてきた。
「安全はコストではない、投資だ」
いかに節約しようとも、まず前提にあるのは「安全な運航」であることは言うまでもない。 Yahoo!ニュース
航空業界には「Safety Management System(SMS)」という概念がある。安全をシステムとして管理し、リスクを継続的に識別・評価・低減していく仕組みだ。燃料コスト削減の施策が安全マージンを侵食していないか、これをSMSの枠組みで継続的に検証することが今まさに求められている。
そして、それを支えるのが人の教育だ。
経済的プレッシャーが最も高まったとき、最後の砦となるのはシステムではなく、適切な判断を下せる訓練されたパイロットだ。異常な状況——燃料を節約するために遅い速度で飛ぶ中で突然の乱気流に遭遇したとき、シングルエンジンタキシー中に前方の状況が急変したとき——そのときに正確な判断と操作ができるかどうかは、訓練の質にかかっている。
UPRT(アップセット防止・回復訓練)は、まさにそのような「普段とは違う状況」での判断力と回復操作を訓練するものだ。燃料危機の時代だからこそ、パイロットの技量訓練への投資を削ってはならない。経済的苦境こそが、教育軽視の温床となりやすいからだ。
SAFの逆説——燃料価格高騰がむしろ追い風になるか
最後に、やや意外な視点を提供したい。
現在の燃料価格高騰は、SAFにとってある種の「追い風」になる可能性がある。従来のジェット燃料が1バレル200ドルに近づけば、SAFとのコスト差が大幅に縮小するからだ。シンガポールがSAF課税を延期した一方で、SAF自体の需要は相対的に高まり得る状況が生まれている。 Nikkei
IATAは2050年に向けてSAFが排出量削減の65%を担うとしており、日本も2030年から義務化を計画している。ただしSAFの価格は従来のジェット燃料の2〜5倍とされており、普及のためには生産コストの引き下げが不可欠だ。 Policynews
皮肉ではあるが、ホルムズ封鎖という最悪の事態が「脱石油依存」の必要性を世界に再認識させ、長期的にはSAFへの移行を加速させる引き金になるかもしれない。
エピローグ——1バレル200ドルの空の下で
燃料価格が2倍になっても、飛行機は飛ぶ。乗客は搭乗する。空は繋がり続ける。
しかし、その「繋がり続ける」ことのコストを誰が負担するのか。運賃を通じて旅行者が、燃油サーチャージとして旅行者が、そして「安全マージンの切り詰め」という形で、誰も気づかないうちに社会全体が——。
航空業界が今問われているのは、「どこまで切り詰めるか」ではなく、「何は絶対に切り詰めてはならないか」だ。
その答えは明白だ。訓練された人、正しく整備された機体、そして安全文化——これだけは、1バレル200ドルの世界でも、守り抜かなければならない。



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