皆さんこんにちは。吉川哲也です。
あなたの隣を飛んでいるパイロットは、最悪の状況に備えているか。私は備えていなかった。だから行く。今秋、アリゾナ州メサへ。世界が認めたUPRT訓練を、自分の体で受けてくる。
宣言の翌日に、もう一つの宣言を
昨日、このブログでUPRT JAPANの設立を宣言した。
「日本初のUPRT専門訓練機関を作る」と書いた。その言葉を、自分自身への約束として公にした。
では、その訓練機関を作ろうとしている私自身は、UPRTを受けたことがあるか。
答えは——まだない。
日本にはUPRTを受けられる場所がない。だから日本のパイロットの多くが、その訓練を受けないまま飛び続けている。それが問題だと発信してきた。しかし当の私も、同じ状況にあった。
それを変える。
今年の秋、私は米国アリゾナ州メサに飛ぶ。APS Training(Aviation Performance Solutions)でUPRTを受講する。
APSとは何者か——世界が認めた30年の実績
APS Trainingは1995年創業、アリゾナ州フェニックス・メサ・ゲートウェイ空港に本拠を置くUPRTの世界的権威だ。
創設者のPaul “BJ” Ransbury氏はカナダ空軍でF/A-18を操縦した元戦闘機パイロット。民間航空に転身した後、「民間パイロットはUPRTを受けていない」という問題意識からAPSを設立した。その哲学はシンプルだ——「We Help Pilots Bring Everyone Home Safely(我々はパイロットが全員を安全に帰還させる手助けをする)」。
30年間でAPSが積み上げてきた実績は数字が語る。
デルタ航空との5年間・500万フライトにわたる追跡調査では、APS-UPRTプログラムの導入によって異常姿勢前兆事象が50%減少した。これは「訓練が命を救う」という事実の、最も強力な証明だ。現在APSは年間25,000人以上のパイロットを訓練し、米国の主要エアライン・軍・法人航空部門に広くプログラムを提供している。
APSの訓練はICAO Doc 10011、FAA AC 120-111、IATA UPRTベストプラクティスに完全準拠している。そして2022年にAPSがUPRTA Internationalの設立母体の一つとなり、UPRT国際基準の中心に位置している。
世界で何が起きているか——UPRT義務化の波
UPRTが「あれば良い」訓練から「なければならない」訓練へと変わりつつある。
2026年1月、FAAは全パイロットに対して空間識失調訓練の強化を正式に推奨するInformation for Operators(InFO)を発出した。コービー・ブライアットを奪った2020年のヘリコプター事故を受けてNTSBが出した勧告が、6年越しに政策に反映された形だ。
欧州ではEASAがすでにUPRT実機訓練を段階的に義務化している。ICAOは2022年から、エアラインパイロット候補者に対して航空会社入社前のUPRT実機訓練を国際標準として義務付けた。
APSはこの流れの中心にいる。「Regulatory UPRT」という航空会社・フライトスクール・規制当局向けのプログラムを持ち、米国の大手エアライン複数社に対してターンキー型のUPRTプログラムを提供している。
世界の基準はすでに動いている。日本が追いつく前に、日本から先に動く。
私が受ける訓練——Goldスタンダードとは何か
APSのUPRTには段階がある。Bronze(シミュレーターのみ)、Silver(実機のみ)、Gold(実機+シミュレーター統合)、Platinum(VR・ジェット機追加の最高位)という4段階だ。
私が受けるのはGoldスタンダード——「Integrated UPRT」と呼ばれる統合コースだ。
なぜGoldか。ICAOが「完全なLOC-I軽減にはシミュレーターと実機の両方が必要」と明言しているからだ。シミュレーターは天候・空域の制約なく悪条件を再現でき、CRM(乗員相互監視)訓練もできる。しかし前庭系——内耳の平衡感覚——を実際に狂わせる体験は、実機でしかできない。その両者を統合したのがGoldだ。
具体的な内容はこうなる。
まず事前にAPSのオンライン学習を15〜20時間かけて完了させる。LOC-Iの空力学的メカニズム、人間の前庭系の限界、アップセットの種類と回復手順——これを徹底的に頭に入れてから現地に乗り込む。
訓練本体は3〜4日間。メサの施設で毎日約8時間。Extra 300Lという高機動性の訓練機に乗り、実際の異常姿勢を体験しながら回復手順を体に刻み込む。最大±10Gに耐えられる機体を使い、通常の旅客機では絶対に経験できない姿勢——完全な倒立飛行、急激なスピン、ソマトグラビック錯覚——を安全な環境で体験する。そしてフルフライトシミュレーターでの統合訓練へと続く。
修了後はAPSのUPRT修了証が交付される。これがUPRT JAPANのカリキュラム設計と、APSとの正式パートナーシップ交渉の土台になる。
Extra 300L——なぜ旅客機パイロットがこれに乗るのか
「旅客機パイロットがアクロバット機に乗る必要があるのか?」という疑問は正当だ。
答えはこうだ。Extra 300Lは「アクロバットを教えるための機体」ではなく、「人間の感覚の限界を安全に体験させるための機体」だ。
旅客機——ボーイング787でも、エアバスA320でも——が異常姿勢に陥ったとき、操縦者は2つの問題に直面する。ひとつは「何が起きているか」を正確に認識すること。もうひとつは「正しい操作」を反射的に実行すること。
パニック状態の人間は、訓練された記憶がなければ本能的な誤操作をする。急降下中に思わずエレベーターを引く——正解はまずバンクを戻すことだ——これは知識として知っていても、実際に起きたとき体が動かない。
Extra 300Lの役割は、「何度も安全に異常姿勢を経験することで、正しい操作を体に上書きする」ことだ。機体の種類は関係ない。人間の認知と筋肉記憶を書き換えることが目的だ。
APSの調査が示している。受講前に5種類のアップセット状況で「安全かつ効果的」と評価されたパイロットは28%に過ぎなかった。訓練5フライト後には96%になった。そして18か月後の追跡調査でも86.7%が技術を維持していた。
これが「なぜExtra 300Lで訓練するか」の答えだ。
日本のパイロットへ——訓練格差という現実
私が今回の受講にかかる費用を計算した。コース料金、航空券、宿泊、生活費を合わせると約150万円。
高い。正直に言って、高い。
しかし考えてほしい。日本のエアラインパイロットが毎年受ける定期審査・型式訓練には、その何倍もの費用と時間がかかっている。それは安全のための投資として当然のものとして扱われている。
一方、LOC-Iという「航空死亡事故の最大原因」に対処するUPRTは、日本では費用も場所も存在しないために受けられない。訓練格差だ。
日本のパイロットが日本国内で、この訓練を受けられる場所を作ること。それがUPRT JAPANの最初の使命だ。
私が今回の渡航でAPSに払う150万円は、将来その場所を作るための、最初の一歩に充てる投資だと思っている。
秋のメサへ——私が持ち帰るもの
訓練から戻ったとき、私はいくつかのものを手にしているはずだ。
APSの修了証。自分の体で体験したUPRTの感覚。APSのチームとの直接的な信頼関係。そしてUPRT JAPANのカリキュラムの骨格。
もう一つ、このブログで詳細な受講記を書く。地上学で何を学んだか。Extra 300Lに初めて乗ったときの感覚。どんな錯覚が起きて、どう克服したか。シミュレーターと実機の違いとは何か——。
「UPRTとは何か」を言葉で説明するのではなく、「自分がUPRTを受けた」という体験として伝える。それが日本の読者に最もリアルに届くと思っている。
秋まで、待っていてほしい。
著者:吉川哲也 ジェットスタージャパン パイロット・元JAL・元航空自衛隊 UPRT JAPAN 創設者(準備中) お問い合わせ:[メールアドレス:kikkawa@kfd.biglobe.ne.jp]
LinkedIn:[LinkedInプロフィールURL:www.linkedin.com/in/tetsuya-kikkawa-58b97a93]



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