77馬力で、2人が飛ぶ-シリーズ『LSAの現在』第4回

LSA 軽スポーツ航空機



遙かなる大空 VOL.172

77馬力で、2人が飛ぶ

シリーズ『LSAの現在』第4回
ヨーロッパの答えは、効率だった。

この記事の要点(約9分)

  • 1918年、動力機を制限されたドイツはグライダーへ向かった。そこで磨かれた効率の技術が、100年後の電動機につながっている
  • 電池は燃料の20分の1以下しかエネルギーを積めない。だから世界初の型式証明を取った電動機は、グライダーの系譜から出た
  • チェコとアメリカは型式証明という壁を迂回した。ヨーロッパは、正面から越えた。どちらにも代償がある

皆さんこんにちは。シリーズ『LSAの現在』の第4回、ヨーロッパです。

ここまでを整理します。チェコの答えは「安く作る」。アメリカの答えは「自分で作る」でした。

ヨーロッパは、三つ目の答えを出しました。効率よく飛ぶ、です。

そしてこの答えの出どころは、意外なところにあります。

1. 動力を禁じられた国

【図1】

1918年、ベルサイユ条約がドイツの動力機の製造と使用を制限しました。

エンジンを使えない国の若者たちは、どこへ行ったか。丘の上です。

ヘッセン州の標高950メートルの丘、ヴァッサークッペ。1911年にはすでにダルムシュタット工科大学の学生が滑空を始めていましたが、条約のあと、ここに人が集まります。

1920年、レーン大会が始まりました。組織したのはオスカー・ウルジヌスという人物です。

1922年、アルトゥール・マルテンスが斜面を駆け上がる風を使って長時間の滞空に成功し、世界初のグライダー操縦学校をこの丘に開きました。

1924年には研究機関レーン・ロシッテン協会が設立されます。所長はアレクサンダー・リピッシュ。のちに三角翼の研究で知られる人です。

ここで学び、ここで試した人たちの名前を挙げます。ヴォルフ・ヒルト。ホルテン兄弟。ウィリー・メッサーシュミット。

動力を取り上げられた国が、効率の学校になったのです。エンジンがなければ、空気抵抗を削るしかありません。そこで磨かれたのは、同じ距離をどれだけ少ないエネルギーで飛ぶかという技術でした。

なおドイツは、いまも軽飛行機を作っています。シュトゥットガルトのフライトデザインは1993年の創業で、1997年からCTシリーズを手がけ、900機以上を送り出しました。2005年4月にFAAの軽量スポーツ機の承認を受け、米国市場の初期を支えた一社です。

ただしこの会社も平坦ではありません。2016年に経営が行き詰まり、資産をドイツの投資会社が引き受けて、いまはフライトデザイン・ゼネラル・アビエーションとして続いています。電動のF2eも手がけています。

2. グライダーから来た会社

【図2】

1989年、スロベニアのアイドフシュチナで、ピピストレルという会社が始まりました。

この会社が最初に作ったものを見てください。Apis、Taurus ―― グライダーです。次がSinus、モーターグライダー。自力で上がって、エンジンを止めて滑空する機体です。

そこから超軽量機のVirusやAlphaが出て、2020年6月、Velis Electroが世界で初めて型式証明を受けた電動航空機になりました。

順番が大事です。抵抗の小さい機体を30年作り続けた会社が、最初の電動機にたどり着いた。これは偶然ではありません。

3. 電池は、燃料の何分の1か

【図3】

なぜ偶然でないのか。電動機が難しい理由は、突き詰めると一つだけだからです。積めるエネルギーが、桁違いに少ない。

1キログラムあたりで比べます。

航空ガソリンは、およそ12,000ワット時。リチウムイオン電池は、パック全体で150から200ワット時ほど。

60倍から80倍の差です。

ただし公平に見る必要があります。ピストンエンジンが燃料から取り出せるのは3割ほど。電動は9割近くを使えます。この差を入れても、なお20倍前後の開きが残ります。

つまり電動機は、そもそも少ない力で飛べる機体でなければ、成立しません。

効率が先にあって、電動はその後にしか来ない。だから最初の電動機が、グライダーの系譜から出てきたのです。

4. 77馬力で、2人が飛ぶ

【図4】

Velis Electroの数字を見てください。

発動機はE-811、57.6キロワット。馬力でいえば約77馬力です。

セスナ172は180馬力です。その半分以下で、2人を運んでいます。

最大離陸重量600キログラム、有効搭載量171キログラム。失速速度は着陸形態で45ノット、フラップ上げで51ノット。最大水平速度98ノット。

価格は193,000ユーロ(約3,280万円)から。運航費用は1時間あたり約40ユーロ(約6,800円)で、同じ会社のガソリン機とほぼ同じ水準だと説明されています。

5. ただし、50分

ここは正直に書きます。この機体の航続時間は50分です。しかも30分の予備を含んだ数字です。

充電は三相電源でおよそ1時間。充電残量が50%を下回ると、離陸できません。

手荷物は積めません。小物入れに入るものだけです。電池は500時間で交換が必要になります。

できるのは、場周経路と、飛行場の近くでの基本操作まで。野外航法の訓練には、別の機体が要ります。

それでも、これが「世界で唯一、型式証明を持つ電動機」の現在地です。夢の話ではなく、限界のはっきりした実用品として存在している。私はそこを評価します。

6. そして、親会社が変わった

経営の話も書いておきます。

2022年4月、テキストロンがピピストレルを約2億3,500万ドルで買収しました。電動専門の新部門「テキストロンeAviation」の中核に据えられています。

ところが2026年1月4日、そのeAviation部門そのものが廃止されました。ピピストレルは、セスナやビーチクラフトと同じテキストロン・アビエーションの中に移っています。

読み方は二つあると思います。

ひとつは、セスナの販売網と整備網の内側に入ったということ。第2回で書いた「従業員140人の会社はセスナにはなれない」という弱点を、この会社は解消しました。

もうひとつは、電動機が「将来事業」という別勘定から、普通の損益の物差しに移されたということです。規律が働くとも言えますし、採算の合わない計画が切られやすくなるとも言えます。

なお2026年1月、韓国がVelis Electroに証明を交付しました。アジアで初めてです。2024年に納入された機体で試験を重ねて取得したものです。

7. イタリアの答えは、幅だった

【図5】

もう一社、イタリアのテクナムです。

この会社には、前史があります。パスカーレ兄弟は1957年にパルテナヴィアという会社を作りました。双発のP68などを世に出した会社です。

1981年、イタリア政府がその会社を取得します。兄弟は、自分たちの会社を離れました。

そして1986年、二人はテクナムを作ります。最初はP.68の胴体を作る下請けでした。ATR42の尾翼や、MD-80の胴体パネルも作っています。

1993年3月14日、P92が初飛行。この機体は、のちに2,500機を超えました。

現在のテクナムは、累計7,500機以上を納入し、33の機種と派生型を持ち、従業員は500人を超えます。納入先は65か国以上。

特筆すべきは、その幅です。2人乗りの軽量機から、11人乗り双発のP2012トラベラーまで、同じ会社が作っている。しかもそのほとんどが、型式証明を持っています。

そして2026年2月、MOSAICに合わせたMOSAIK59シリーズを発表しました。第1回で触れたとおりです。

8. 三つの答え

【図6】

ここで、シリーズの整理をします。

三つの国は、同じ壁に向き合っていました。型式証明にかかる費用です。

チェコは、協会への委任という抜け道を作りました。アメリカは、51%ルールという抜け道を作りました。どちらも、壁を迂回したのです。

ヨーロッパは、壁を越えました。

ピピストレルは電動機で型式証明を取り、テクナムは軽量機から11人乗りまで証明を積み上げた。遠回りで、金もかかります。

その代わり、何が手に入るか。型式証明がなければ開かない扉です。訓練事業に使え、商用運航に使え、国境を越えて売れる。

迂回か、正面突破か。どちらにも代償があります。

この記事の限界

エネルギー密度の比較は、筆者による概算である。航空ガソリンの値は一般的な数値、電池はパック全体として広く使われる範囲を取り、効率も代表的な値を当てた。製品・年代・運用条件により幅があり、桁の感覚をつかむための整理と考えていただきたい。

「ヨーロッパは正面突破」という整理は、話を単純にしている。欧州にも超軽量機の枠を使う作り手は多く、チェコもEASAの証明を取った機体を持つ。本稿は三つの国で目立つ傾向を並べたものであり、国ごとに一つの型しかないという意味ではない。

数値は各社・各当局の公表および報道によるもので、時点が揃っているとは限らない。ドイツの航空史に関する記述は、ヴァッサークッペの記録に基づく概略である。円換算は1ユーロ170円、1ドル157円による概算である。

現場のパイロットとして

電動機の50分という数字を、短いと見るか、十分と見るか。飛行訓練の大半は、実は飛行場の周りで終わります。離着陸、基本的な操作、緊急時の手順。ここだけなら50分で足ります。

むしろ私が注目したのは、静かであることです。訓練飛行場が住民の苦情で使えなくなる例を、私は国内外で見てきました。騒音が減れば、飛べる場所が増える。これは性能の話ではなく、飛行機が社会に居場所を保てるかという話です。

そして効率という言葉について、ひとつ。抵抗の小さい機体は、エンジンが止まったときに遠くまで滑空できます。燃費のために磨かれた形が、そのまま非常時の余裕になる。ドイツの丘で始まった技術が、いまも効いているのは、そういうところだと思います。

結論

1918年、動力機を取り上げられた国が、丘の上でグライダーを飛ばしました。その制約が、効率という技術の学校を作りました。

100年後、世界で初めて型式証明を受けた電動機は、グライダーから始まった会社から出ました。電池が積めるエネルギーは、燃料の20分の1以下。効率が先にあって、電動はその後にしか来ません。

チェコは抜け道を作り、アメリカも抜け道を作りました。ヨーロッパは、壁を越えました。迂回か、正面突破か。どちらにも代償があります。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

UPRT JAPAN 代表
エアラインパイロット(A320)
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

※ 本稿は2026年10月時点の公開情報に基づく。円換算は1ユーロ170円、1ドル157円。図はいずれも筆者による整理である。関連記事:Vol.169「「軽くせよ」が、危なかった」、Vol.170「最初のLSAは、チェコ製だった」、Vol.171「33,000機を、素人が作った」。

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