引ききっても、失速しない-『どこまで、機械が守るか』第1回

UPRT



遙かなる大空 VOL.174

引ききっても、失速しない

シリーズ『どこまで、機械が守るか』第1回
エアバスの5つの保護と、二つの設計思想。

この記事の要点(約9分)

  • A320のノーマル則では5つの保護が働き、操縦桿を引ききっても失速させることができない
  • ハドソン川のA320は限界を越えられなかったから助かり、1985年の747SPは限界を越えられたから助かった
  • ただしこの保護は計算の産物である。センサーが値を返さなくなれば、保護は消える

皆さんこんにちは。今週から新しいシリーズを始めます。

前のシリーズで、LSAの話を5回書きました。あそこでは失速速度という1本の線が、資格の境界を決めていました。59ノットを超えるか、超えないか。

では、私が普段乗っている旅客機はどうか。

「エアバスは失速しない」。そう言われることがあります。

本当でしょうか。そして、本当だとしたら、なぜそんなことが可能なのでしょうか。

1. 5つの保護

【図1】

エアバスA320は、操縦桿と舵が機械的につながっていません。操縦士の入力は一度コンピュータに入り、コンピュータが舵を動かします。フライ・バイ・ワイヤと呼ばれる方式です。

間にコンピュータが入ると、何ができるか。「その操作はしない」と判断できるようになります。

もうひとつ、根本的な違いがあります。ノーマル則では、操縦桿の倒し具合が「舵の角度」ではなく「かけたい加速度」の指示になります。

手を放して中立にすれば、指示は1g。つまり機体は、いまの経路を維持しようとします。トリムを取り直す必要もありません。機械が勝手に合わせます。

操縦桿が「結果」を指示する仕組みだからこそ、「その結果は出せません」と機械が答えることができる。保護が成立する前提が、ここにあります。

通常の状態、ノーマル則と呼ばれる制御則では、5つの保護が働いています。

荷重倍数。クリーン形態でマイナス1.0gからプラス2.5gまで。フラップを使っていれば0gからプラス2.0gまで。

姿勢。機首上げは30度まで(低速では25度まで下がります)、機首下げは15度まで。

バンク角。操縦桿を横に一杯倒しても67度で止まります。そして手を放せば、33度まで戻ってきます。

高迎角。これが今日の主題です。

高速度。VMO/MMOを超えると、自動的に機首が上がります。

共通するのは一点です。いずれも、操縦士の入力より機械の判断が優先されます。

2. 引ききっても、そこで止まる

【図2】

迎角という言葉を使います。機首が向いている方向と、実際に空気が流れてくる方向の、角度の差のことです。

翼は迎角が大きいほど揚力を出しますが、ある角度を超えると気流が剥がれて、揚力を失います。これが失速です。

失速は速度で起きるのではありません。角度で起きます。ここは何度でも書いておきたいところです。

A320のノーマル則では、迎角が増えていくと順に次のことが起きます。

まずα-prot。保護が入ります。ここから先は、操縦桿をどれだけ引いているかが、そのまま迎角の指示になります。自動操縦は外れます。

次にα-floor。あとで述べますが、推力が自動で最大まで入ります。

そしてα-max。

ここで止まります。

操縦桿を一杯に引いても、これ以上の迎角にはなりません。つまりノーマル則では、引く操作によって失速させることが、できないのです。

機体を失速させようと思っても、機械が受け付けない。これが「エアバスは失速しない」と言われる理由です。

3. 機械が、勝手に推力を入れる

【図3】

α-floorについて、もう少し書きます。私はこの機能が、いちばんエアバスらしいと思っています。

迎角が決められた角度に達すると、推力が自動的に離陸推力まで上がります。操縦士が推力レバーに触れていなくても、です。

作動する角度は形態ごとに決まっています。CONF 0で9.5度、CONF 1と2で15度、CONF 3で14度、CONF FULLで13度。操縦桿の引き量も条件に入ります。

働く範囲は、離陸で浮揚してから、着陸の100フィートまで。

一方、働かない条件もあります。マッハ0.6を超えているときと、TCAS(空中衝突防止装置)が作動しているとき。

後者の理由は想像がつくと思います。衝突を避けるために降下している最中に、機械が勝手に推力を入れたら困るからです。

保護には、保護を切るべき場面がある。この設計思想は、次回の話につながります。

4. 守られた機と、守られなかった機

【図4】

ここで、二つの実例を並べます。どちらも死者は出ていません。だから設計の話として、落ち着いて比べられます。

2009年1月、ハドソン川。両方の発動機を失ったA320が、川に着水しました。

このとき、機長は最後の局面で操縦桿を引ききっていました。降下率を抑えるために、機体の持つ揚力を全部使おうとしたわけです。

普通なら、そこで失速します。しかしアルファ保護が働き、機体は失速しませんでした。

つまり機長は、失速を心配せずに、機体の限界を使い切ることができた。

もう一つ。1985年、太平洋上。ボーイング747SPが高高度で姿勢を失い、急降下に入りました。

引き起こしで機体にかかった加速度は、推定5.5g。設計限界の2倍以上です。

機体は大きく損傷しましたが、約10,000フィートを残して回復しました。

ここが面白いところです。

前者は、限界を越えられなかったから助かりました。後者は、限界を越えられたから助かりました。

5. 硬い限界と、柔らかい限界

【図5】

この二つの例が、そのまま二社の設計思想の違いになります。

エアバスの限界は、硬い。操縦士は越えられません。別の制御則に落ちない限り、保護を解除する手段そのものがない。

考え方はこうです。越えられないと分かっていれば、操縦士はためらわずに全力で操作できる。「あとどれくらい引いていいのか」を考える必要がなくなります。

ボーイングの限界は、柔らかい。操縦装置に強い力を加えれば、保護を上回る操作ができます。

こちらの考え方は、最終的に決めるのは人間だというものです。

どちらが正しいかという議論は、40年続いています。そして決着していません。

私の考えを書いておけば、これは思想の違いであって、優劣ではありません。片方は「機械を信じて思い切り操作せよ」と言い、もう片方は「最後は人が決めろ」と言っている。どちらも、操縦士を助けるための設計です。

6. 本当に外れたときは、保護をやめる

設計者がよく考えていると思うところを、ひとつ紹介します。

機体が本当に飛行領域の外に出てしまった場合、A320は別の制御則に切り替わります。異常姿勢則と呼ばれるものです。

切り替わる条件が、具体的で生々しい。バンク角125度を超える。機首上げ50度、または機首下げ30度を超える。速度が60〜90ノットを下回る、あるいは440ノットを超える。迎角が30〜40度を超える。

いずれも、通常の飛行では起こりえない値です。

このとき機械は何をするか。保護を強めるのではありません。逆です。操縦士に、回復するための操縦権限を渡します。自動トリムは切れ、横の操縦は直接方式になります。

考え方は明快だと思います。すでに領域の外にいる機体を、領域の中にいる前提の保護で縛っても、助けにならない。それどころか邪魔になる。

なお回復したあとも、操縦系統は低下した状態のまま、その飛行の終わりまで戻りません。

つまり設計者は、こう考えているわけです。領域の中では機械が守る。領域の外へ出てしまったら、人が操縦する。

このシリーズの題名を『どこまで、機械が守るか』としたのは、この線が実在するからです。

7. ただし、ここからが本題です

【図6】

ここまで読んで、「では旅客機は安全だ」と思われたかもしれません。

ところが、ここに大きな但し書きがつきます。

この保護は、計算の産物です。

コンピュータは、迎角を直接「見て」いるわけではありません。機外についたセンサーが測った値を受け取って、計算しているだけです。速度も、気圧も、角度も、全部そうです。

ということは、センサーが値を返さなくなったら、あるいは間違った値を返したら、どうなるか。

保護は、消えます。

しかも消えるのは、たいてい状況が悪いときです。穏やかな巡航中にセンサーが凍ることは、あまりありません。

次回は、保護が消えたあとに何が残るのかを書きます。制御則が落ちるとはどういうことか。そのとき操縦士の手の中には、何があるのか。

シリーズは全5回の予定です。機械がどこまで守り、どこから人が引き継ぐのか。そこを順に見ていきます。

この記事の限界

本稿は航空機の設計思想についての一般的な解説である。筆者が所属する会社の運航、手順、方針については一切述べない。記述はいずれも公表されている資料に基づく。

数値は一般に公表されている値であり、型式・仕様・形態により異なる。同じA320でも仕様によって差がある。実際の運航で拠るべきは、当該機の飛行規程および運航規程であって、本稿ではない。

また、保護の名称や働き方は製造者の世代によっても変わる。本稿はA320系列を念頭に置いた整理であり、他の型式にそのまま当てはまるものではない。挙げた2件の事例は、設計思想を説明する目的で引用したものである。

現場のパイロットとして

保護があるということを、私は「限界まで使える」という意味で受け取っています。「限界を気にしなくていい」ではありません。ここは似ているようで、まるで違います。

ハドソン川の例がまさにそうでした。機長は引ききった。引ききれば失速する機体なら、あそこまで引けたかどうか。保護は、操縦士の決断を速くするための装置でもあります。

そのうえで、申し上げたいことがひとつあります。保護があるから訓練が要らない、ということには決してなりません。保護は条件つきで働くものだからです。条件が崩れた瞬間に何が起きるかを知らないまま乗るのは、保護を信じているのではなく、ただ知らないだけです。次回は、そこを書きます。

結論

A320のノーマル則では、操縦桿を一杯に引いても迎角はα-maxで止まります。引く操作で失速させることが、できません。

ハドソン川では、限界を越えられなかったから助かりました。1985年の747SPは、限界を越えられたから助かりました。硬い限界と柔らかい限界は、思想の違いであって優劣ではありません。

ただし、この保護は計算の産物です。センサーが値を返さなくなれば、保護は消えます。そしてそれは、たいてい状況が悪いときです。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

UPRT JAPAN 代表
エアラインパイロット(A320)
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

※ 本稿は2026年11月時点の公開情報に基づく。数値は型式・仕様により異なり、実際の運航は当該機の飛行規程による。図はいずれも筆者による整理である。

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