氷が、数字を書き換える-『どこまで、機械が守るか』第3回

UPRT



遙かなる大空 VOL.176

氷が、数字を書き換える

シリーズ『どこまで、機械が守るか』第3回
センサーは正しい。比べる相手の数字が、変わっている。

この記事の要点(約9分)

  • 紙やすり程度の付着で最大揚力が30%減り、失速する角度そのものが下がる。警報が鳴る前に失速の兆候が出うる
  • 水平尾翼は主翼の2〜3倍の氷を集め、操縦席から見えない。尾翼失速の回復操作は、主翼失速とほぼ逆になる
  • 保護は氷を想定して調整されている。ただし想定した形の氷まで。前提が崩れたかを判断するのは機械ではない

皆さんこんにちは。シリーズ『どこまで、機械が守るか』の第3回です。

第1回で、ノーマル則では引ききっても失速させられないという話を書きました。第2回では、その保護が計算の産物であり、センサーの値が壊れれば消えるという話を書きました。

今回は、もう一段深いところを扱います。センサーが正しく働いていても、保護が間に合わないことがある。

氷の話です。

1. 紙やすり程度で、3割

【図1】

まず、氷が翼に何をするか。

翼の前縁と上面に、中目か粗目の紙やすりほどの付着があるとします。手で触って、ざらついている程度です。

それだけで、最大揚力が30%減り、誘導抗力が40%増えます。

厚く付けば、抗力は80%以上増えることもあります。

ここでもう一つ、重い数字を挙げます。防氷装置を備えた機体で、保護されている面の氷を除いたあとでも、氷による抗力のおよそ30%が残ったという試験結果があります。

防氷装置は、翼の全面を守っているわけではありません。守られていない場所に付いた氷は、そのまま残ります。

氷の付き方にも種類があります。

小さな水滴が当たってすぐ凍ると、白く不透明で、もろい氷になります。前縁に沿って、比較的おとなしく付きます。

一方、大きな水滴が当たって、広がりながらゆっくり凍ると、透明で硬い氷になります。これは前縁を越えて後ろまで流れ、思わぬ形に育ちます。

そして厄介なのが、特に大きな過冷却水滴による着氷です。防氷装置で守っている範囲より後ろに付くことがあり、証明で想定している着氷の条件の範囲を、超えうることが知られています。

2. 角度のほうが、先に来る

【図2】

ここが、今回いちばん大事なところです。

LSAのシリーズで何度も書きましたが、失速は速度で起きるのではなく、角度で起きます。

では氷は、その角度に何をするか。

氷がつくと、翼が失速する角度そのものが下がります。

理屈は難しくありません。翼が揚力を出せるのは、空気が翼の上面に沿って流れ続けているあいだです。迎角を上げていくと、どこかで流れが面から剥がれる。それが失速です。

氷は、その剥がれを早く起こさせます。前縁の形が変わり、表面がざらつけば、流れはそれだけ早く面から離れていく。

きれいな翼が16度あたりで最大揚力に達するとすれば、氷のついた翼は11度あたりで頭打ちになる。あくまで説明のための数字ですが、そういう向きに動くということです。

結果として、失速速度は上がります。しかし先に動いているのは、速度ではなく角度のほうです。

前のシリーズを読んでくださった方には、ここで引っかかるものがあるはずです。

MOSAICは失速速度59ノットという線で、操縦士の資格の範囲を決めました。あの数字は、きれいな翼を、決められた重量で測った値です。

規則が引く線は、いつも「ある条件のもとでの数字」です。そして空では、その条件のほうが動きます。

そして、ここから先が本題になります。

保護も警報も、「この角度を超えたら」という閾値で働きます。その閾値は、あらかじめ決められた数字です。

翼の限界のほうが、その閾値より手前に来てしまったら、どうなるか。

警報が鳴る前に、失速の兆候が出ます。

これはNASAの資料にも、そのとおりに書かれています。氷による汚染があると、失速警報が働く前に失速の兆候が現れうる。

第2回では、センサーが壊れて保護が消えました。今回は違います。センサーは正しく角度を測っています。測った値も正しい。ただ、比べる相手の数字が、もう正しくないのです。

3. 尾翼のほうが、先に凍る

【図3】

もうひとつ、知っておきたいことがあります。

氷は、前縁の半径が小さく、翼弦が短いものほどよく付きます。空気の流れが曲がりきれずに、水滴がそのままぶつかるからです。

機体の中で、その条件に当てはまるのはどこか。水平尾翼です。

水平尾翼は、主翼の2倍から3倍の氷を集めます。しかも、操縦席からはまず見えません。

ここで、水平尾翼が何をしている部分かを思い出してください。機首を下げる方向の力を作っています。

前回のシリーズで重心の話を書いたときにも触れましたが、一般的な配置では、尾翼は下向きの力で機体を釣り合わせています。

その尾翼が失速したら、どうなるか。下向きの力が消えて、機首が急に下がります。

4. 操作が、逆になる

【図4】

尾翼失速の厄介なところは、回復操作が主翼失速とほぼ逆になることです。

主翼が失速したら、機首を下げ、推力を入れ、速度を上げます。

尾翼が失速したら、フラップを一段戻し、操縦桿を手前に引きます。高度に余裕があれば推力を減らし、速度は上げません。

見分け方も書いておきます。主翼失速では機体が揺れます。尾翼失速では、操縦桿が揺れます。

そしてフラップを下げた直後に操縦の手応えがおかしくなったら、尾翼を疑う。

理由があります。フラップを下げると、主翼が機首を下げようとする力が強まります。それを打ち消すために、尾翼はより強く下向きの力を出さなければならない。

つまりフラップを下げた瞬間、尾翼の迎角が増えます。氷が付いていれば、そこで限界を超えることがある。だから着陸形態に入る場面が、いちばん危ないのです。

どちらであるかを取り違えれば、回復操作がそのまま悪化させます。

この判断を、機械は代わりにしてくれません。

5. 保護は、氷を想定している

【図5】

ここまで読むと、保護が頼りなく思えてくるかもしれません。公平のために、反対側を書きます。

製造者は、これを分かっています。

ある製造者の寒冷時運航の資料には、アルファ保護の設定は氷の形状を想定して調整されていると書かれています。証明のときに代表的な氷の形を付けて試験し、その分の余裕を見込んで閾値を決めてある、ということです。

つまり、想定の内側にある氷なら、機械が引き受けてくれます。

問題は、想定の外側です。

防氷していない面への付着。証明の範囲を超えた着氷。除氷したあとに残った氷。これらは、試験で使った形とは違います。

そして同じ資料に、こうも書かれています。主翼防氷が使えないとき、または防氷していない面に著しい着氷が疑われるときは、最低選択可能速度を上げること。

上げるのは、誰か。操縦士です。

前提が崩れたかどうかを判断するのは、機械ではありません。機械は、前提が崩れていることを知りません。

6. 経験は、守ってくれない

【図6】

最後に、統計を一つ。

1990年から2000年までの一般航空の事故で、着氷に関係するものが388件。気象に関する事故の12%です。そのうち27%が死亡事故でした。

内訳は、発動機の吸気系の着氷が52%、構造着氷が40%、地上での付着が8%。

そして、操縦士の総飛行時間です。

48%が、1,000時間を超えていました。100時間未満はわずか7%です。

着氷は、経験の浅い者だけの問題ではありません。

なお、内訳の8%は地上での付着です。飛ぶ前にすでに翼が汚れていた、ということです。

これについては、古くから言われている原則があります。離陸するとき、機体はきれいでなければならない。薄い霜でも、残っていれば離陸してはいけない、という考え方です。

ここまで読んでいただいた方には、理由がもう分かると思います。紙やすり程度で3割なのですから。

理由は、ここまで書いてきたことに尽きると思います。変化が、見えないからです。

翼の形が変わったことは、計器に出ません。尾翼に氷が付いたことも、見えません。数字は何も変わっていないのに、その数字が指している中身のほうが変わっている。

経験は、見えるものを速く正しく読む力を育てます。しかし、見えないものについては、経験も新人も同じ条件に立たされます。

この記事の限界

本稿は着氷の一般的な影響についての解説である。筆者が所属する会社の運航、手順、方針については一切述べない。氷が性能に与える影響は、氷の種類・量・付着位置・機種によって大きく変わる。本稿の数値は代表的な例であって、特定の機体に当てはめられるものではない。

揚力曲線の図は模式図である。16度・11度という値は説明のために置いたもので、特定の機種を表すものではない。保護や警報の閾値も型式ごとに異なる。

尾翼失速の回復手順は、機種により異なる。本稿に記したのは一般的な解説であり、実際に拠るべきは当該機の飛行規程である。該当する記載がない機体も多い。統計は1990年から2000年までの米国の一般航空を対象としたもので、年代も対象も限られている。

現場のパイロットとして

このシリーズを3回書いてきて、共通する形が見えてきました。機械は、与えられた数字と比べているだけだということです。

第2回は、測った値のほうが壊れました。今回は、測った値は正しいのに、比べる相手の数字が実態と合わなくなりました。どちらの場合も、機械は自分が間違っていることに気づきません。気づけるのは、外から見ている人間だけです。

だから着氷のときに私が気にするのは、計器の数字よりも、機体の手応えのほうです。同じ速度なのに重い。同じ操作なのに反応が鈍い。こういう感覚は、数字より先に出ます。そしてこの感覚は、知識では身につきません。次回は、その人間の側の話に移ります。驚いたとき、人は何をするのかという話です。

結論

紙やすり程度の氷で、最大揚力は30%減ります。そして失速する角度そのものが下がります。先に動くのは速度ではなく、角度のほうです。

保護も警報も、あらかじめ決めた角度と比べています。翼の限界がその手前に来てしまえば、センサーは正しく測っているのに、警報より先に失速の兆候が出ます。

保護は氷を想定して調整されています。ただし、想定した形の氷までです。前提が崩れたかどうかを判断するのは、機械ではありません。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

UPRT JAPAN 代表
エアラインパイロット(A320)
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

  • NASA グレン研究センター「Aircraft Icing」― 中目・粗目の紙やすり程度の付着で最大揚力が最大30%減少し、誘導抗力が40%増加すること。失速角が低下するため、失速警報の作動前に失速の兆候が現れうること。
    Ground Icing: Risks - Contamination Penalties
  • FAA/AOPA航空安全財団「Aircraft Icing」Safety Advisor ― 抗力の増加(厚い付着で80%以上)、防氷面の氷を除去後も約30%の抗力が残るという試験結果、水平尾翼が主翼の2〜3倍の氷を集めること、尾翼失速の兆候と回復手順、1990〜2000年の着氷事故統計(388件、気象事故の12%、死亡27%、原因別、操縦士の総飛行時間)。
    https://www.faasafety.gov/files/events/EA/EA23/2012/EA2347327/SA11_Aircraft_Icing.pdf
  • 製造者の寒冷時運航に関する資料 ― アルファ保護の設定が氷の形状を想定して調整されていること、主翼防氷が使用できない場合や防氷していない面への著しい着氷が疑われる場合に最低選択可能速度を増加させること。
    https://skybrary.aero/sites/default/files/bookshelf/3404.pdf

※ 本稿は2026年11月時点の公開情報に基づく。数値は条件・機種により大きく異なり、実際の運航は当該機の飛行規程による。図はいずれも筆者による整理である。関連記事:Vol.174「引ききっても、失速しない」、Vol.175「保護が、消えるとき」。

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