静かな革命は、もう始まっている
——Pipistrel Voyagerと、世界のLSA訓練
オシュコシュで現れた一機の訓練機が、世界の潮流を映している。では、日本はどう動くか。
- オシュコシュ2026で、Pipistrelが次世代訓練機「Voyager」を公開。MOSAIC適合で、IFR・スピン訓練に対応。
- MOSAICの本質は「重量の緩和」より「能力の解禁」。これまでLSAで禁じられたIFR・スピン訓練が可能になった。
- 日本は制度が追いついていないが、批判より着手を。教官育成・UPRT・現行枠の活用・地域の裾野は、今日から始められる。
世界最大の航空祭・オシュコシュ(EAA AirVenture 2026)で、一機の飛行機が発表されました。Pipistrel(ピピストレル)の「Voyager(ヴォイジャー)」。欧州の名門であり、いまはTextron傘下のこのメーカーが世に問うたのは、次世代の”訓練専用機”です。一見、地味なニュースに見えるかもしれません。でも私は、この一機に、世界の空が向かう方向が、はっきりと映し出されていると感じました。
なぜなら、このVoyagerは、米国の新制度MOSAIC——LSA(軽スポーツ機)の型式証明を性能ベースへと現代化する枠組み——に適合するよう設計された、最初の世代の機体だからです。そしてその背後では、世界のパイロット訓練が、静かに、しかし確実に、作り替えられている。今日は、その実態を見つめ、そして——日本は今、何ができるのかを、正面から考えたいと思います。
テキストロン社のピピストレルは、EAAエアベンチャー・オシュコシュでボイジャー練習機を発表した。© AIN/マット・サーバー
オシュコシュで現れた、訓練機の未来
Voyagerのスペックを見て、私は唸りました。基本価格は27万4,000ドル(24万ユーロ、約4,300万円)。装備は本格的そのものです。Garminの新型Axisタッチスクリーン、電子式の安定・保護機能を備えた3軸GFC 500オートパイロット、GI 275バックアップ計器、触覚式の失速警報、そして弾道パラシュートまで内蔵。動力は100馬力のRotax 912 ULS、航続は740海里(IFR予備燃料込み)。翼に2基の燃料タンクを持ち、荷物室も備えます。


極めつけは、IFR(計器飛行)や意図的なスピン訓練にも対応すること。これらは、これまでのLSAでは”禁じられていた”領域です。つまりVoyagerは、もはや「軽い練習機」ではありません。エアラインを目指す訓練生を、本格的に育てられる道具です。その証拠に、米国の名門Epic Flight Academyが、いきなり最大50機を発注し、12拠点すべてに配備する計画です。「安くて、しかも本格的」——これが、世界の訓練の新しい標準になりつつあるのです。
「これは“趣味の軽飛行機”の話ではない。プロ養成の、静かな革命だ。」
MOSAICが「解禁」したもの
ここで、MOSAICの本質を、正確に押さえておきましょう。しばしば「重量制限の緩和」と語られますが、Voyagerが体現しているのは、それ以上に”能力の解禁”です。実際、Voyagerの最大離陸重量は1,389ポンドと、従来のLSA(1,320ポンド)に近い、依然として軽量な機体です。巨大化したわけではありません。
では何が変わったのか。MOSAICは、機体を重さの上限ではなく「性能」で測る基準に転換しました。その結果、これまでLSAで禁じられていた「計器飛行(IFR)」や「スピン訓練」が、解禁されたのです。テキストロン・アビエーションのクリス・ハーン氏は、こう述べています。「MOSAICは、航空機の開発と市場投入の根本的な変革であり、性能ベースで実証済みの安全データに裏付けられているため、高い水準を保ちながら、今日の技術をより的確に反映したペースで革新できる」と。Voyagerは、軽量のまま、”本格的な中身”を手に入れた——それが、この機体の核心です。
「安い=質が低い」という誤解を、世界は捨てた
ここが、最も重要な点です。安い訓練機と聞くと、「安かろう悪かろう」を連想するかもしれません。その思い込みを、世界はもう捨てています。むしろ現場からは、「現代のLSAで訓練された学生のほうが、基礎がしっかり育つ」という報告が上がっています。理由は3つ。第一に、過剰なパワーがない分、雑な操縦がごまかせず、丁寧に飛ぶ癖がつく。第二に、初日から最新のグラスコックピットに慣れ、現代のエアラインに直結するスキルが育つ。第三に、安いから、同じ予算でより多く飛べる——経験の総量が増えるのです。
私はVol.107で、こう書きました。「安さは、質を落とす理由ではなく、質を高める手段になりうる」と。当時は、私の一つの信念でした。しかしいま、それが世界の現場で、実証されつつある。Voyagerが、IFRやスピン訓練という本格領域に対応して登場したことこそ、その何よりの証です。これは、趣味の軽飛行機の話ではない。プロを育てる、養成の静かな革命なのです。
では、日本は。——今できる改革
正直に言えば、日本は、この世界の潮流から遅れています。LSAやMOSAICに相当する制度が、まだ整っていない。これは事実です。けれど、私はここで、誰かを責めるつもりはありません。制度づくりには時間がかかる。それを待つ間、ただ手をこまねいているのか、それとも、今できることに着手するのか。問われているのは、その姿勢です。そして私は、今すぐ始められる改革が、確かにあると考えています。
第一に、教官を今から育てること。世界の議論でも指摘されていますが、訓練拡大の最大のボトルネックは、機体ではなく教官です。制度が整ったその瞬間に動けるよう、指導者を今から確保し、育て始める。人がいなければ、どんな立派な制度も回りません。第二に、実機UPRTを、制度に先んじて根付かせること。安全の背骨であるUPRTは、新制度を待たずとも、既存の枠組みの中で文化として築ける。これは、まさに私たちUPRT JAPANが、今まさに担っている役割です。
第三に、現行のLSA枠を、使い倒すこと。日本でも2022年末に、LSAが「研究開発用・実験機」として飛べる道が開きました。限定的ではありますが、その枠の中でも、できることはある。小さく始めて実績を作り、それを次の制度づくりへの圧力に変えていく。第四に、地域とクラブで、裾野を広げること。日本版EAA、フライングクラブ、地方空港の活用(Vol.110で書いたとおり)。機体を共有し、飛ぶ人の母数そのものを増やす。需要を作れば、制度は後から動くのです。
世界は、もう動いています。オシュコシュのVoyagerは、その現実を突きつける一機でした。日本が制度で出遅れているのは事実です。でも、制度が変わるのを、ただ待つ必要はありません。教官を育て、UPRTを根付かせ、現行の枠を使い倒し、地域から裾野を広げる。この4つは、今日からでも始められる。そして——動く現場こそが、やがて制度を動かすのです。批判からは、何も生まれない。生まれるのは、着手からだけです。私は、その最初の一歩を、自分の手で踏み出し続けます。世界に追いつくのではなく、日本ならではの道で、空の裾野を、確かに広げていくために。
数字は嘘をつかない——UPRTは『あれば良い訓練』ではない。
吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)
エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 合同会社 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)
- AIN(Matt Thurber、2026-07-20)「Pipistrel Voyager To Train Next Generation of Pilots」:Textron/Pipistrel、EAA AirVenture Oshkoshで発表。基本価格24万ユーロ/27万4,000ドル、MOSAIC適合、最大離陸重量1,389 lb・有効積載552 lb、Rotax 912 ULS 100hp、航続740nm(IFR予備込み)、IFR・スピン訓練対応、Garmin Axis・GFC 500 3軸AP・GI 275・触覚式失速警報、弾道パラシュート、翼内2タンク+荷物室。Epic Flight Academyがローンチ顧客・最大50機発注・12拠点配備。Chris Hearn氏(Textron Aviation エンジニアリング担当上級副社長)コメント.
- MOSAIC(性能ベース基準への転換、IFR・スピン等の能力解禁)、世界のパイロット需要・LSA訓練の質に関する報道(FAA/FLYING/Plane&Pilot/各校 2025-2026)。日本のLSA枠:航空局サーキュラー(2022-12、実験機扱い)。関連:本連載 Vol.102・107・110・111.
※ 本稿は2026年9月時点の公開情報に基づく論考。円換算は1ドル≒157円で概算(為替により変動)。仕様・制度・数値は各社発表・報道に基づく概要であり、今後変わりうる。後半の日本の改革案は筆者の提言。図はいずれも概念図。
#Pipistrel #Voyager #LSA #MOSAIC #パイロット訓練 #フライトスクール #オシュコシュ #人材育成 #航空教育 #UPRTJAPAN



コメント