八か月、火口の中にいる

飛行機


遙かなる大空 VOL.128

八か月、火口の中にいる

阿蘇中岳、遊覧ヘリ墜落事故 ― 報じられなくなった案件
回収できない事故が、日本にある。

この記事の要点(約7分)

  • 2026年1月20日、阿蘇中岳第1火口内に遊覧ヘリが墜落した。事故から約8か月、3人はまだ火口の中にいる。
  • 引き上げ費用は約4億4千万円。一企業の手に余り、最終的に国費で県警が実施することになった。
  • だが火山活動が高まり、作業は中断したまま。機体が回収できなければ、事故調査は始まらない。

皆さんこんにちは。今日は、ほとんど報じられなくなった事故について書きます。

2026年1月20日午前11時ごろ、熊本県阿蘇市の観光施設を離陸した遊覧ヘリコプターが、約10分の飛行中に通信を絶ちました。機体は阿蘇中岳第1火口の内部で、大破した状態で見つかりました。

搭乗していたのは、60代の男性操縦士と、台湾から訪れた男女2人です。

そして今日まで、3人は火口の中にいます。

1. 八か月の経過

【図1】

2月18日、現場で3人とみられる姿が確認されました。しかし火山灰が積もる急斜面で接近できず、収容には至っていません。

現場は火口内壁の北東側。氷点下と寒風、足場の悪さ、そして有毒な火山ガス(二酸化硫黄)。阿蘇市の発表は、捜索・救助が「極めて困難な状況」であったと記しています。

6月15日、ようやく事態が動きました。熊本県警が引き上げ作業に着手し、無人重機が火口周辺へ搬入されました。7月末を当面の目標に、8月末までの完了を目指していたとされます。

その6日後、6月21日の夕方。福岡管区気象台が噴火警戒レベルを1から2へ引き上げました。火口からおおむね1kmの範囲が立ち入り規制となり、作業は中断します。

7月14日には、搬入した機材をいったん搬出。8月14日にはレベル3(入山規制)へ引き上げられ、引き上げの断念を検討しているとの報道も出ました。

9月1日、レベルは3から2へ引き下げられました。それでも火口から1km圏は規制が続いています。作業再開の見通しは、まだ立っていません。

人の手が足りないのではない。自然が、回収を許していない。

2. 四億四千万円

この事故には、もう一つ重い論点があります。誰が後始末を負うのかという問題です。

【図2】

墜落現場は阿蘇くじゅう国立公園の特別保護地区にあたります。土地を所有する環境省は4月15日、運航会社に対して機体を撤去するよう要請しました。制度としては、当然の筋道です。

4月20日、阿蘇火山防災会議協議会の臨時会が開かれました。運航会社は、作業員が火口内に入って機体にロープを掛け、ヘリで吊り上げる案を提示。協議会はこれを「二次災害リスクを排除できない」として認めませんでした。無人重機を使う案であれば立ち入りを許可する、という判断です。

ところが、運航会社と無人重機の事業者との契約は成立しませんでした。技術的な難しさと、莫大な費用。そこで止まったのです。

6月12日、熊本県警が引き上げを実施すると発表しました。無人重機による高所・急斜面工事の実績を持つ千葉県の事業者に委託し、費用約4億4千万円は国費で賄うという形です。

県警捜査1課の説明が、報道に残っています。機体は事故の証拠品の一つであり、時間がたつにつれて失われる懸念がある。搭乗者は外国人を含み、家族のもとに早くお返ししなければならない。

4億4千万円という額は、遊覧飛行を営む一企業が負担できる規模ではありません。制度は、この事態を想定していませんでした。

3. 回収できなければ、調査は始まらない

ここが、私がこの記事を書きたかった核心です。

【図3】

事故が起きる。機体を回収する。原因を調べる。再発を防ぐ。航空の安全は、この循環の上に成り立っています。Vol.124で私は、マニュアルの一行一行が誰かの失敗の堆積だと書きました。あの循環が回ってきたからこそ、規則が生まれたのです。

今回は、二段目で止まっています。

運輸安全委員会は1月23日に運航会社の事務所で聞き取りを行い、飛行ルートなどを確認しています。ですが機体そのものは、火口の底にあります。エンジンも、計器も、操縦系統も、調べられていない。

そして警察が述べたとおり、証拠は時間とともに失われます。火山灰に埋もれ、酸性の環境にさらされ、雨と風に洗われる。8か月が過ぎました。

類似の前例があります。1992年、富士山頂の火口に小型のセスナ機が墜落し、搭乗していた3人全員が亡くなりました。当時の事故調査委員会は、山頂付近の激しく乱れる気流の中を、性能に余裕のない状態で飛行したことによる失速が原因と推定しています。

34年前の事故から、私たちは何を受け取っていたのでしょうか。火山の上空は、乱れた気流の空間です。それは当時すでに分かっていたことでした。

この記事の限界

事故原因は何も分かっていない。運輸安全委員会の調査は継続中であり、本稿は原因について一切の見解を示さない。気象、機体、操作、判断——そのどれについても、現時点で確定した事実はない。

運航会社に対しては、業務上過失致死傷の疑いでの捜査が進んでいると報じられている。本稿は特定の企業や個人の責任を論じるものではない。1992年の富士山の事例を挙げたのは、火口という場所の性質を示すためであり、今回の原因を示唆するものではない。

また、事態は日々動いている。本稿は2026年9月中旬時点の公開情報に基づくものであり、その後の進展は反映していない。

4. まだ答えの出ていない問い

【図4】

一つ目。火口の上を、遊覧で飛ぶということ。活火山の上空は、地形と熱によって気流が乱れ、有毒ガスが立ちのぼる空間です。景色としては格別でしょう。ですが観光飛行の経路として、どこまで近づくのが適切なのか。この問いに、業界として合意された答えがあるとは思えません。

二つ目。回収できない場所に落ちたとき、誰が責任を負うのか。制度上は運航者です。ですが4億4千万円という額の前で、その筋道は機能しませんでした。海上、山岳、火口、原生林。日本には回収困難な地形が無数にあります。次に同じことが起きたとき、また半年をかけて協議するのでしょうか。

三つ目。調査が止まっているあいだ、同じ飛行は続いているか。原因が分からなければ、何を直せばよいかも分かりません。全国の遊覧飛行は、いまその状態にあります。

現場のパイロットとして

この記事を書きながら、ずっと考えていたことがあります。私はこの事故を、1月に知ったきり忘れていました。その後の8か月、一度も思い出しませんでした。ニュースが流れなくなったからです。

Vol.124で「他山の石」について書いたばかりです。他人の失敗を拾って自分のものにすることが経験だ、と。その石を、私は八か月ものあいだ拾わずにいました。報じられなければ忘れる。それが自分の実態でした。

台湾から来られたお二人のご家族は、いまも日本からの連絡を待っておられます。その待つ時間は、報道の有無とは関係なく流れ続けています。

結論

航空の安全は、事故から学ぶことで進んできました。その前提には、機体を回収できるという条件が隠れています。私たちはそれを、当たり前だと思っていました。

阿蘇中岳第1火口では、その条件が成立していません。他山の石は、拾えなければ石のままです。

そして忘れられることが、この事故の二度目の被害になります。報じられなくなっても、3人はまだそこにいます。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

※ 本稿は2026年9月中旬時点の公開情報に基づく。事故原因は何も確定しておらず、本稿は原因に関する見解を一切示さない。図はいずれも筆者による整理である。

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