人は、なぜ空を去るのか
——JAL破綻が変えた雇用と、人材定着の本質
円安でも、高給でもない。パイロットが会社を去る本当の理由を、2つの知見から考える。
- 2010年のJAL破綻は、日本のパイロット雇用の大転換点。「会社に尽くせば守られる」前提が崩れた。
- 米国の知見では、人材定着は「企業文化・WLB・リーダーシップ・報酬」の4本脚の椅子。報酬だけでは倒れる。
- 解は報酬競争ではなく、育てる文化・先を読む人員計画・日々の信頼。人を「資源」でなく「仲間」として遇すること。
今日は、少し目線を変えて、「人材」について書きます。きっかけは、海外の航空人材コンサルタントによる2つの示唆に富む議論——人材定着とリーダーシップに関する円卓会議の記録でした。読みながら、私はずっと、日本の航空業界のことを考えていました。
いま、日本のパイロットが、国内のLCCから、そして海外の航空会社へと流出しています。円安、高い報酬——理由はそう語られがちです。確かに、大型機や国際線へのステップアップには魅力があります。でも、私は「お金だけが理由ではない」と感じています。そして、この人の流れの原点をたどると、ある大きな出来事に行き着くのです。2010年の、JALの経営破綻です。

2010年、雇用の「常識」が崩れた
2010年のJAL破綻は、日本の航空業界にとって、まさに大事件でした。グループ全体で約1万6千人が会社を去り、パイロットと客室乗務員計165人が整理解雇されました。そして破綻後の10年で、JALからは300人を超えるパイロットが同業他社へ流出したといわれます。それまでの日本の航空界では、終身雇用が当たり前でした。会社に尽くせば、会社が守ってくれる——その暗黙の約束を、多くの人が信じていた。
しかし、破綻はその前提を、根底から覆しました。あるパイロットは、こう書き残しています。「いくら会社に奉仕しても、クビを切られる時は切られる」「会社と個人は、対等であるべきだ」と。そして時を同じくして、LCC(ジェットスター・ジャパン、ピーチ等)が次々と誕生し、新たな受け皿となった。人が動く時代が、始まったのです。もはや、一つの会社に骨を埋めるのが当然、という時代ではなくなった。この構造変化こそが、今日の流出の遠い源流だと、私は考えています。
「人は、会社を去るのではない。“リーダー”を去るのだ。」
人材定着は「4本脚の椅子」
ここで、海外の知見が効いてきます。人材コンサルタントのシェリル・バーデン氏は、人材定着を「4本脚の椅子」に例えました。4本の脚とは、①企業文化、②ワークライフバランス、③リーダーシップ、④報酬。脚が1本でも短ければ椅子はぐらつき、2本短ければ倒れてしまう。そして彼女は言います。従業員は優れた企業文化のためなら報酬を多少犠牲にする。でも、最終的に残留を決めるのはリーダーシップだ——「人は会社を去るのではなく、リーダーを去る」のだと。
とりわけ重要なのが、「報酬だけで競うと、必ず負ける」という指摘です。お金を主な動機とする人は、いつか必ず、もっと高く払える相手に奪われる。上には上がいるからです。だから賢い運航部門は、対抗オファーを追いかけるのではなく、お金が主目的ではない人の「生活の質」を最大化することに注力する。誕生日休暇、家族への配慮、数ヶ月のサバティカル休暇——一律の昇給よりも、個々に合わせた小さな施策のほうが効く。ある教訓が、胸に残ります。「個人を引き留めようとするな。ここにいる人が”辞めたくない”と思う環境をつくれ」と。
日本の航空会社の、痛いところ
この視点で日本を見ると、いくつもの課題が浮かびます。第一に、対症療法の引き留め。辞意が出てから慌てて対抗オファーを出しても、心が離れた後では効かず、根本問題も解決しません。第二に、小規模ほど痛手が大きいこと。パイロットが6〜8人のLCCでは、1〜2人の離職が運航と士気に甚大な影響を与える。大手なら分散する打撃が、小さな組織では致命傷になりうる。
第三に、沈黙を「満足」と誤解すること。双方向の対話がなければ、現場は勝手に物語を作り、それはたいてい正確ではない。第四に、場当たり的な人員計画。退職が出てから採用に動くため、育成の重なり期間がなく、技術と経験の継承が途切れる。JAL破綻後、「ベテランが手薄で技術の継承が難しい」と言われたのは、まさにこれです。報酬で追いかけても、根っこは変わらない。企業側の死活問題は、実は「文化」にある——私はそう思うのです。
では、どうするか——3つの処方箋
2つの記事が示す解は、明快です。①4本脚を立て直す:一律の昇給より、個々に効く小さな施策を。②先を読む人員計画:退職を数年前から予測し、育成の重なりで技術を継承する。そして真の競争相手を見誤らないこと(同規模の同業ではなく、実際は大型機を持つ大手や海外だったりする)。③信頼を積む:双方向の対話を欠かさず、小さな約束を守り、一人ひとりに合わせて導く。もう一つの記事が説くように、リーダーシップは”生まれつきの才能”ではなく、意識的に磨く実務スキルなのです。
日本の航空業界へ、私はこう思います。終身雇用という古い絆は、もう戻りません。それでも、対等な個人として「選ばれ続ける」企業にはなれる。それは、育てる文化、先を読む計画、そして日々の信頼の積み重ねによって。人を「資源(コスト)」としてではなく、「仲間」として遇すること。JAL破綻が壊してしまった信頼を、今度は新しい、対等な形で結び直す——それこそが、流出を止める唯一の道だと、私は信じています。
パイロットが海外へ、LCCへと移っていく。その一つひとつには、確かにステップアップの夢があります。それは否定されるべきものではありません。けれど、企業や日本の航空界にとって、人材の流出は死活問題です。そして、それを食い止める鍵は、より高い報酬を積むことではない。「ここにいたい」と思える理由を、いかに作れるか。それは、私がライフワークとする「人を育てる」という営みと、根っこで深くつながっています。育てた人が、育った場所で輝き続けられる——そんな航空業界を、私は日本に見たいのです。人は、報酬ではなく、「ここにいたい理由」で残るのですから。
数字は嘘をつかない——UPRTは『あれば良い訓練』ではない。
吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)
エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 合同会社 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)
- Sheryl Barden氏(Aviation Personnel International CEO)による人材定着の円卓会議記録(CALS主催):人材定着=企業文化・WLB・リーダーシップ・報酬の「4本脚の椅子」、報酬競争の限界、先を見越した人員配置、人事との継続的パートナーシップ.
- Lisa Archambeau氏(Service Elements 社長)によるフライト部門リーダーシップの円卓会議記録(CALS主催・NBAA関連):意思決定への参画、個々に合わせたリーダーシップ、小さな行動による信頼構築.
- JAL破綻関連:会社更生法申立(2010-01、負債総額約2.3兆円)、約1.6万人削減・165人整理解雇、破綻後10年でパイロット300人超が同業流出、破綻で養成が遅れた候補生 約100人(各種報道:日本経済新聞・ダイヤモンド・弁護士JP・ALPA Japan等).
- LCC・海外の報酬比較(狭胴機単機種では海外広体機機長要件を満たしにくい等):PILOT VALUE ほか公開情報(2026)。関連:本連載 Vol.107・110・111.
※ 本稿は2026年9月時点の公開情報に基づく論考。数値は報道等に基づく概数。特定の企業・個人を一方的に評価する意図はなく、離職・転職を否定するものでもない。海外知見の日本への適用は筆者の見解。図はいずれも概念図。
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