降りることにも、危険はあるー那覇のANA機緊急脱出

安全・事故


遙かなる大空 VOL.138

降りることにも、危険はある

那覇のANA機緊急脱出と、三年前の中部
緊急脱出と警戒降機は、同じではない。

この記事の要点(約8分)

  • 9月23日、那覇で158人が脱出し3人が軽傷。本稿は判断の是非を問うものではない。
  • 2023年の中部では、爆発物がないまま67歳の男性が腰の骨を折った。運輸安全委員会は脱出姿勢の周知不足と地上の援助者不在を指摘した。
  • 同委員会が業界に求めたのは、「緊急脱出」と「警戒降機」の違いを明確にすることだった。

皆さんこんにちは。9月23日の夜、那覇空港で緊急脱出がありました。

先に書いておきます。この記事は、脱出の是非を問うものではありません。機長が降ろすと判断した。人命が最優先です。それは正しい。

書きたいのは別のことです。降りるという行為そのものにも、危険が潜んでいる。そのことを、乗る側にも知っておいてほしいと思います。

1. 那覇で起きたこと

【図1】

9月23日21時8分、那覇発佐賀行きのANA1502便が離陸しました。ボーイング737-800。上昇中に機体の振動を感じ、右エンジンのオイル温度が高いという表示が出ます。

乗員は右エンジンを停止し、管制上の優先権を要請して引き返しました。22時5分ごろ、第1滑走路に着陸。そして誘導路上で脱出スライドを使用しました。

乗客152人(幼児4人を含む)と乗員6人の計158人が全員脱出。乗客3人が膝の擦り傷などの軽傷を負いました。火や煙は確認されていません。

国土交通省は同日22時45分、この事案を重大インシデントに認定しました。

ちなみにこの便は、福岡行きの欠航に伴って設定された臨時便でした。深夜は福岡空港の運用時間を超えるため、佐賀へ向かう予定だったそうです。

2. 三年前、中部で起きたこと

この報道を読んで、私が思い出したのが2023年1月7日の出来事です。

【図2】

成田発福岡行きの便に爆破予告があり、中部空港へ着陸しました。乗客136人、乗員6人。着陸後、スライドによる脱出が行われ、全員が降りるまで約4分半でした。

そして67歳の男性が腰の骨を折る重傷を負いました。ほかに24歳から40歳の男女4人が、手のひらや肘に擦り傷などの軽傷。

脱出後に機内を調べたところ、爆発物はありませんでした。

運輸安全委員会は2025年3月、この件の調査報告書を公表しています。指摘されたのは、乗客への脱出姿勢の周知が足りなかったこと、そして地上側に降りてくる人を支える援助者がいなかったことでした。

さらに報告書は、業界全体に対してこう求めています。「緊急脱出」と「警戒降機」の違いを明確にすること。

爆発物はなかった。それでも、一人が腰の骨を折った。

3. 同じスライド、違う判断

ここが、この記事で一番書きたかったところです。

【図3】

緊急脱出は、機内にとどまることが危険な場合です。火災、煙、燃料漏れ、機体の損壊。1秒でも早く外へ出すことが求められます。このとき、多少の負傷は避けられない前提として織り込まれています。骨を折っても、生きて出られるほうがいい。

警戒降機は、念のために早めに降ろす場合です。危険の兆候はあるが、切迫してはいない。時間の余裕がある場合が多く、負傷を減らすための手立てを取れる余地があります。

同じスライドを使い、外から見れば同じ光景です。ですが、つり合わせるべきものが違う。

運輸安全委員会がこの区別を求めたのは、そこに理由があります。前者では速さがすべてに優先する。後者では、少し時間をかけてでも負傷を減らす選択肢がある。現場でその見分けがついていなければ、判断は前者に引きずられます。

問うべきは、降りるか否かではありません。どちらの降り方なのかです。

この記事の限界

那覇の事案は調査が始まったばかりであり、本稿は原因についても判断の当否についても一切述べない。操縦席の乗員は、外からは見えない情報をもとに判断している。エンジンを止めた直後の機体で、煙や火の有無を完全に確認できるとは限らない。

中部の事案について本稿が記したことは、すべて運輸安全委員会の公表報告書と報道による。筆者は現役のエアラインパイロットであり、所属する会社の内部の判断については一切述べない。

また「緊急脱出」と「警戒降機」の定義や運用は事業者により異なる。本稿の整理は筆者によるものであり、公式の定義ではない。

4. スライドに潜むもの

では、具体的に何が危ないのか。

【図4】

姿勢。あおむけに寝た形で滑ると、腰から着地して傷めます。腕を前に出し、座った姿勢で滑るのが正しい。中部の報告書が「脱出姿勢の周知不足」を指摘したのは、まさにここです。

手荷物。持ったまま滑れば、自分も後続の人も危うくなります。硬いものや尖ったものは、スライドそのものを裂くことがあります。

足もと。ハイヒールは脱ぐ決まりです。ですが降りた先はコンクリート。裸足で走ることになります。

降りた後。夜の誘導路です。緊急車両が動いています。乳幼児を抱えた人、高齢の方、体の不自由な方がいる。そして機体から離れなければならない。

那覇では幼児4人が乗っていました。夜の十時です。

5. 九十秒という設計

もう一つ、乗る側にあまり知られていないことを書きます。

旅客機は、出口の半分だけを使って90秒で全員を降ろせることを証明しなければ、型式の証明を受けられません。座席の配置も、通路の幅も、この基準から逆算されています。

なぜ90秒なのか。機体が燃えはじめたとき、客室が生存できない状態になるまでの時間から来ています。

つまりスライドという装備も、90秒という速さも、火災を前提に設計されているということです。多少の擦り傷や骨折より、焼死を避けることが優先される。その設計思想は、まったく正しい。

ですが、火がないときはどうでしょうか。那覇では火も煙も確認されていません。中部では爆発物がありませんでした。そのとき、90秒という速さは何とつり合っているのか。

これは現場を責める問いではありません。制度と設計の側に向けた問いです。

現場のパイロットとして

正直に書きます。脱出を命じる判断は、運航の中で最も重いものの一つです。降ろさずに火が回れば、取り返しがつかない。降ろして怪我人が出れば、それも自分の判断の結果です。

そして操縦席からは、客室も機体の外も見えません。エンジンを止めた直後、後ろで何が起きているかを知る手立ては限られています。見えないまま、数十秒で決めることになる。

だからこそ、乗る側にお願いがあります。離陸前の安全のご案内を、一度だけ真剣に見てください。座った姿勢で、腕を前に。荷物は置いていく。靴は脱ぐ。その三つを知っているだけで、あなたと後ろの人の怪我は確実に減ります。

結論

降ろすという判断は正しい。ですが、降りることにも危険はあります。三年前は爆発物がないまま一人が腰の骨を折り、今回は幼児を含む158人が夜の誘導路に降りました。

運輸安全委員会が求めたのは、緊急脱出と警戒降機の違いを明確にすることでした。同じ装備を使っても、つり合わせるべきものが違うからです。

九十秒という速さは、火災を前提に設計されています。火がないとき、その速さが何を守っているのかを考えることは、現場を責めることではありません。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

※ 本稿は2026年9月時点の公開情報に基づく。那覇の事案は調査中であり、原因にも判断の当否にも言及しない。筆者は所属する会社の内部情報について一切述べない。図はいずれも筆者による整理である。

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