人を育てるということ

UPRT


遙かなる大空 VOL.121

人を育てるということ

狩猟の時代から続く営みの、次の一歩をどこに置くか
これからのパイロット教育についての考察

この記事の要点(約8分)

  • 教育は狩猟の技術伝承から始まった。手段は変わり続けたが、目的は一貫して「次の世代を生かす」ことにある。
  • いま質の違う断絶が起きている。自動化により、経験が技量を生まなくなった。稀な事象にしか技量は要らず、稀だからこそ経験できない。
  • 教育は三層に分かれる。手続きはAIへ、技能は実機へ、判断と人格は人へ。そして現代の訓練は、測れる第一層に偏りすぎている。

皆さんこんにちは。今日はいつもと趣を変えて、私が長く考えてきたことを書きます。これからのパイロット教育はどうあるべきか。私のライフワークそのものについてです。

1. 教育は、狩猟から始まった

人間が生まれるはるか前から、生物は生きるために進化してきました。やがて狩猟という行為が生命維持の手段となり、その技術を次の世代へ渡す必要が生まれます。これが教育の始まりでしょう。

農耕が始まり、集団が家族になり、家族が国家になる。言葉と文字が生まれると、教育は技術の伝承だけでなく、統治の道具にもなりました。産業革命以降は、自動車、船舶、航空機、ロケット――新しい機械が登場するたびに、新しい教育が必要になった。

手段は変わり続けました。方法も、場所も、時代ごとにまるで違う。それでも目的は一つも変わっていません。次の世代を生かすこと。狩猟の技を教えた者と、いま操縦を教えている私たちは、同じことをしています。

私は軍でも民間でも訓練を受けてきました。F-4に乗っていた頃と、いまA320で受ける訓練は、まるで別物です。ですが根本のところで同じ営みだという感覚は、ずっとあります。

2. パイロット教育が特異である理由

数ある職業教育の中で、パイロットの世界には独特の文化が育ちました。死者から学ぶという文化です。

CRMも、TEMも、エアマンシップという言葉も、誰かが墜ちた後に生まれています。事故報告書を読み、なぜそうなったのかを考え、二度と繰り返さないために訓練を変える。この循環を半世紀以上まわしてきた産業は、そう多くありません。

学歴が優先される社会にあって、私たちの世界だけは違う尺度を持ち続けました。その人が何を知っているかではなく、その日その場で何ができるか。これは誇っていい伝統だと思います。

ただ、その伝統が前提にしていたものが、いま静かに崩れています。

3. 経験が、技量を生まなくなった

かつては、飛べば飛ぶほど上手くなりました。エンジンは止まり、計器は壊れ、天候に殴られる。異常は日常の一部でした。狩猟と同じで、生き延びた者が技術を持ち、それを次に伝えた。経験が教師だったのです。

いまは違います。システムが極めて信頼できるようになった結果、パイロットの技量が本当に必要とされる場面は、キャリアを通じて一度も来ないかもしれません。それでも来たときには、数十秒で正しく振る舞わなければ全員死ぬ。

【図1】

これは1983年にリズベス・ベインブリッジが「自動化の皮肉」として指摘した構図そのものです。自動化は人間から日常的な操作を取り上げ、異常時の対処だけを残す。だが、取り上げられたその日常こそが、異常時の技量を養っていた。

つまり、経験が供給しなくなったものを、教育が意図的に製造しなければならない時代になりました。偶然に頼れないなら、設計するしかない。

私がUPRTを訴え続けている理由は、突き詰めればここにあります。

機械が優秀になるほど、人間に残される仕事は難しくなる。

4. 教育を三つの層に分ける

そこで私は、パイロット教育を三層に分けて考えるようになりました。層ごとに、誰が教えるべきか、どこで教えるべきかが違うからです。混ぜると、どれも中途半端になります。

【図2】

第一層は手続き。規程、システム、手順、限界値。何をどの順で行うか。正直に言えば、ここはAIが人間より上手くやれる領域です。一人ひとりの理解度を測り、忘却に合わせて出題し、違う速度を与える。人間の教官には手間がかかりすぎたことを、安価に大量にできる。

第二層は技能。身体が覚える部分です。姿勢、迎え角、失速からの回復。ここは実機でなければ育たないと私は考えています。理由は結果があるからです。シミュレーターにはリセットボタンがあり、実機にはない。この差は情緒の問題ではなく、学習の質の問題です。人間は、結果のある行為からしか本当には学びません。

第三層は判断と人格。エアマンシップと呼ばれてきたものです。引き返す勇気。分からないと言える力。仲間を止める言葉。ここは人間の教官にしか教えられません。これが知識ではなく態度だからです。態度は教わるものではなく、伝染するものです。教える側が持っていないものは、決して伝わりません。

5. 私たちは、測れるものを教えている

ここに、現代の訓練が抱える構造的な歪みがあります。

【図3】

訓練の時間と費用の大半は、第一層に注がれています。理由は単純で、第一層だけが測れるからです。手続きは点数がつく。合否が出る。記録に残り、監査に耐え、説明ができる。

測れるものが評価され、評価されるものに予算がつく。そして人が死ぬのは、多くの場合、第三層の失敗です。

審査票を思い浮かべてください。引き返す判断を書く欄がありますか。分からないと言えたかどうかを記録する欄は。副操縦士が機長を止めた一言を評価する項目は。どれも欄がない。だから教えられず、現場で偶然に学ぶしかない。

前回の記事で紹介したNASAの実験――訓練どおりの形なら18名全員が正答し、出し方を変えたら多くが躓いた――は、まさにこの歪みの現れだと私は読んでいます。

この記事の限界

本稿の三層モデルは、筆者による整理であって、特定の規程や国際標準に基づくものではない。図3の帯の比率も、主張を示すための概念図であり、統計に基づく数値ではない。

また、第一層を軽んじる意図はまったくない。手順の確実な遂行は安全の土台であり、そこが崩れれば他の議論は成立しない。本稿が問うているのは、土台の上に何を積んでいるかである。EBT(証拠に基づく訓練)のように、この歪みに正面から向き合う枠組みも既に存在する。私の主張は新奇なものではなく、その流れの上にある。

6. AIに何を任せ、何を任せないか

私はこの記事を書くにあたって、AIと長い議論をしました。そこで出てきた答えが、自分の考えを整理してくれたので、正直に書きます。

【図4】

AIが最も貢献できるのは、実は第一層だけではありません。第二層の設計にこそ効きます。

前回紹介したランドマンの研究が示したのは、訓練は予測不能かつ可変であるべきだ、ということでした。ところが人間の教官が毎回シナリオを変え続けるのは、労力の面で現実的ではありません。無限の変奏を安価に生成すること――これはAIが得意とする仕事です。

一方で、AIには決定的にできないことが二つあります。

一つは、結果を供給できないこと。「戻せなかったら終わり」という事実を、計算機は作り出せません。もう一つは、関係を結べないこと。見守られている、任されている、という感覚を与えられない。

つまりこういうことです。AIが第一層を引き受けることで、人間の教官は第三層に集中できるようになる。それは教官の仕事が楽になるということではありません。楽な部分が消えて、難しい部分だけが残るということです。

7. 先人はすでに言っていた

山本五十六の言葉は、前半だけがよく引用されます。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」。

ですが、続きがあります。「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」。そして「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」。

「動く」「育つ」「実る」で、三段階になっているのです。そして後半に出てくる「任せる」「見守る」「信頼する」は、いずれも機械には担えません。

吉田松陰の松下村塾が、わずか二年余りで異常な数の人材を送り出したのも、カリキュラムが優れていたからではないと思います。松陰は「人賢愚ありといえども、各々一二の才能なきはなし」と言いました。誰にも何かしらの才能がある、と信じて一人ひとりを見た。あれは教育技術ではなく、関係です。

私たちが最新の技術を手にしたとき、忘れてはいけないのはこの部分だと思います。

私の一歩 ― LSAとUPRT

私がLSA(軽量スポーツ機)による訓練環境づくりにこだわるのは、因果が見える機体だからです。ラダーを踏めばヨーが出る。引けば失速する。複雑な機体では、機械があいだに入って因果を隠します。基礎は、反応が返ってくる場所でしか身につきません。

UPRTは、経験が供給しなくなったものを意図的に製造する試みです。どちらも第二層の話であり、そして第三層への入口でもあります。自分の限界に触れた人間だけが、引き返す判断の意味を知るからです。私にとってこの二つは、別々の事業ではありません。同じ一つの問いへの、二つの答えです。

結論

教育の目的は、狩猟の時代から一度も変わっていません。次の世代を生かすことです。変わったのは手段だけであり、いまその手段を、もう一度組み直す時期に来ています。

手続きはAIへ。技能は実機へ。そして判断と人格は、人から人へ。この配分を間違えなければ、技術がどれだけ進んでも教育は成立すると思います。

教える側も、時代とともに育たなければなりません。教育者自身が学び続けることだけが、この営みを次へ渡す唯一の方法です。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 合同会社 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

  • Bainbridge, L. (1983). Ironies of Automation. Automatica, 19(6), 775–779. ― 自動化が人間から日常的操作を奪い、異常時対処のみを残すという逆説。
  • Casner, S. M., Geven, R. W., & Williams, K. T. (2013). The Effectiveness of Airline Pilot Training for Abnormal Events. Human Factors, 55(3), 477–485.
  • Landman, A. et al. (2018). Training Pilots for Unexpected Events: A Simulator Study on the Advantage of Unpredictable and Variable Scenarios. Human Factors, 60(6), 793–805.
  • ICAO Doc 9995(Manual of Evidence-based Training)、ICAO Doc 10011(Manual on Aeroplane Upset Prevention and Recovery Training)。
  • 山本五十六の言葉として広く伝わる三節、および吉田松陰『講孟余話』ほか。いずれも成立や表記に諸説がある。

※ 本稿は筆者個人の考察であり、所属する組織の見解を示すものではない。三層モデルおよび図はいずれも筆者による概念整理である。

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