実機が、残すもの
——T-1A退役と、シミュレーター時代の訓練
米空軍が、輸送・給油機課程の訓練機T-1Aジェイホークを8月末に全機退役。
訓練がシミュレーターとVRへ移るいま、実機でしか教えられないものは何か——EBTとUPRTの視点で考える。
米空軍が、T-1Aジェイホークの最後の機体を2026年8月末に退役させる。1992〜93年に運用が始まったこの双発機は、ビジネスジェット「Beechjet 400A」の軍用型で、輸送機・給油機(エアリフト/タンカー)課程の多発訓練機として、また戦闘システム士官(CSO)の育成機として、30年以上にわたり数万人のパイロットを送り出してきた。退役は、シミュレーターとVRの比重を高める訓練パイプライン改革の一環だ。T-6(初等練習機)の改良で輸送課程を一機種に集約し、浮いた資源を(遅延している)次世代機T-7Aレッドホークへ投資する。
元C-130乗りの私には、少しばかり感じるものがあった。T-1Aは、私が飛んでいた輸送機の世界へと、若者を送り出してきた機体だからだ。だが感傷は脇に置こう。この静かな退場が投げかける問いは、私たち全員に関わる——訓練が「合成環境」へ移るいま、実機でしか教えられないものを、私たちは何と考え、どう残すのか。
静かな名機がつないだもの
T-1Aは、戦闘機のように音速を破ることも、脚光を浴びることもなかった。それでも、輸送機や給油機を飛ばす人材を黙々と育て続けた。現場の送別では「巨人たちの肩の上に立つ」という言葉が交わされたという。退役自体は合理的な判断だ。老朽化、コスト、そして訓練の近代化。シミュレーターとVRは、いまや訓練の中核を担いうる。
ただし、こうした「実機からの移行」は、いつも一つの問いを残す。効率と安全のために合成環境へ寄せていくのは正しい。では、実機だからこそ教えられたものは、どこで、どう受け継ぐのか。
シミュレーターが得意なこと、実機だけが教えること
誤解のないように言えば、私はシミュレーター肯定派だ。合成環境は、危険な事象を安全に、低コストで、天候にも空域にも左右されず、厳密に再現して反復できる。しかも訓練データが取れる。これはEBT(証拠に基づく訓練)の土台そのものだ。手順、判断、CRM——訓練の「大部分」を、シミュレーターは立派に担える。
だが、実機だけが教えることもある。本物の持続G、実際の運動、そして本物のスタートル(驚き)と生理的ストレス。「後がない」という現実の重み。全包絡線を身体で覚える感覚。視覚・前庭・体性感覚が統合された、あの生々しさ。これらは、どれほど忠実なシミュレーターでも、完全には再現しきれない。だからこれは「実機か合成か」の二択ではない。合成で「幅」を、実機で「核」を——それぞれ何のためにあるかを、はっきりさせることだ。
「育てたいのは、機体でも装置でもない。驚きと現実に対処できる“人”だ。」
EBTとUPRT——「証拠」と「現実」を両立させる
私が所属する会社でも、今年からEBT(Evidence-Based Training)が始まった。先日、その最初の定期審査を受けたばかりだ。EBTの本質は、コンピテンシー(能力)を証拠で測り、弱点に合わせて訓練を調整することにある。ここでシミュレーターは絶大な力を発揮する——幅広いシナリオを安全・低コストで反復し、FPM(手動飛行)やSAW(状況認識)、PSD(意思決定)といった能力を観察できる。一方でUPRTは、要所を実機・全姿勢で行うことにこだわる。なぜなら、アップセットの生理反応、持続G、スタートル下の判断——その「核」は、合成環境では再現しきれないからだ。両者は対立しない。合成で幅を、実機で核を。証拠(EBT)で鍛え、現実(UPRT)で仕上げる。そうして育てるのは、結局のところ、強靭で現実に対処できる「人」である。

世界の潮流は、確実にシミュレーター化・デジタル化へ向かう。それ自体は歓迎だ。だが日本の訓練現場でも、実機でしか得られない「核」を、意図的に残す設計をしたい。とりわけUPRTの実機・全姿勢訓練は、コスト削減の名目で最初に削られやすい。しかし、いざアップセットに直面したとき、身体が覚えているかどうかが、生死を分ける。
この秋、私はUPRTの本場を訪ね、実機訓練と国際的な安全サミットに参加する予定だ。そこで確かめたいのは、まさにこの一点——合成の時代に、実機の「核」をどう位置づけ、EBTとどう噛み合わせるか。T-1Aの静かな退場は、その問いを、良いタイミングで思い出させてくれた。
T-1Aは、派手さのないまま、静かに去っていく。シミュレーターは正しく台頭し、EBTは訓練をより賢く、より測定可能にする。それでも、私たちが育てようとしているのは、装置ではなく人だ——驚きに、現実に、そして持続するGに、身体ごと対処できる人。だから、合成で「幅」を鍛えつつ、実機の「核」を手放さないこと。証拠と現実は、両輪でこそ機能する。名機の退場に敬意を表しつつ、私は、実機が残すべきものを守りたい。
数字は嘘をつかない——UPRTは『あれば良い訓練』ではない。
吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)
エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 合同会社 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)
- FlightGlobal「US Air Force to retire last of T-1A Jayhawk multi-engine trainers」2026-08.
- FlightGlobal「USAF plans to retire all T-1A trainers by 2026 and invest money saved in T-7A Red Hawks」2024-07.
- US Air Force AETC/各基地(Laughlin・Columbus・Vance・NAS Pensacola)退役リリース(2024-2026)/Undergraduate Pilot Training Transformation.
- ICAO Doc 9995「Evidence-Based Training(EBT)」/IATA EBT 実装ガイダンス.
- ICAO Doc 10011「Aeroplane Upset Prevention and Recovery Training」/APS 等 UPRT 資料(実機・全姿勢訓練の意義).
※ 本稿は2026年8月10日時点の公開情報に基づく。図はいずれも理解のための概念図。特定の訓練体系・機種の優劣を断ずるものではなく、合成訓練と実機訓練の相補性を論じるもの。
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