世界と日本の”時差”を測る
2026年7月24日、米MOSAIC施行前夜。LSA・eVTOL・UPRT ―― 三つの前線で、日本と世界のあいだに横たわる「時間の差」を、数字と図で可視化する。
「日本は遅れている」―― この言葉は、しばしば感情論として消費されます。けれど本当に意味があるのは、“どれだけ”遅れているのかを、正確な数字で掴むことです。差を名指しできて初めて、それは埋めるべき工程表に変わります。
ちょうど1週間後、2026年7月24日、米国でMOSAICという軽量スポーツ機(LSA)の大改正が施行されます。これを定点に、LSA・eVTOL・UPRTという三つの前線で、日本と世界の距離を測ってみましょう。専門家の皆さんには釈迦に説法の部分もありますが、あえて数字と図で並べます。
前線① LSA ―― MOSAIC、20年ぶりの地殻変動
米国のMOSAIC(特別耐空証明の近代化)は、2004年のスポーツパイロット/LSA制度以来、約20年ぶりの抜本改正です。2025年7月24日に最終規則が公布され、機体側の認証ルールは2026年7月24日に施行されます。要点を旧制度と並べると、変化の大きさが一目で分かります。

注目すべきは、LSAの枠にパワードリフト(eVTOL的な機体)まで取り込んだ点です。米国は「軽い機体」の裾野を、次世代モビリティへ地続きに広げにいっています。ひるがえって日本には、これに相当するLSAカテゴリーが実質的に存在せず、有償訓練も通達(サーキュラー)の制約下にあります。裾野の入口そのものが、構造的に狭いのです。
この差は、単なる機体の話にとどまりません。LSAは本来、新しい操縦者が空へ入る「入口」であり、次世代機への橋渡しの実験場でもあります。米国はその入口を広げ、有償運航や高性能機まで地続きにすることで、人材と技術の循環を太くしようとしている。入口が狭いということは、その先に続く訓練・事業・人材のパイプライン全体が細くなるということです。MOSAICを「アメリカのローカルな規則改正」と眺めるのではなく、裾野の設計思想の差として捉えるべきだと、私は考えています。
前線② eVTOL ―― 型式証明のスコアボード
次は eVTOL です。ここは「誰が最初に機体を認証するか」というレースの真っ只中にあります。2026年前半時点で、世界で発行済みのeVTOL型式証明はわずか3件、そのすべてが中国(CAAC)。EHang EH216-Sは2023年に世界初の型式証明を得て、すでに旅客運航に入っています。一方、米FAAと欧州EASAはいまだ発行ゼロ。日本も同様にゼロですが、走り出してはいます。

この図が語るのは、単純な優劣ではありません。認証の速さと、市場投入の順番は、必ずしも一致しないということです。中国はいち早く認証と運航に進み、米国は最も厳格なプロセスを”標準”として整え、日本のSkyDriveは国内eVTOLメーカーとして初めて設計組織(ADO)の承認を得て、2028年の商用化を見据えます。日本は周回遅れではなく、同じレースに、確かに乗っている。ただし「認証済み=中国のみ」という現実は、冷静に見ておくべき数字です。
もう一つ、専門家として見逃せないのが「認証にかかる時間」の差です。中国のEHangは、当局と密に連携する協調型モデルで、約31ヶ月という短期間で型式証明に到達しました。対して米Jobyは2018年に申請してから、すでに約8年をこのプロセスに費やしています。一般に新カテゴリー機の型式証明には5〜8年を要すると言われます。米国はこの間に、2024年末のパワードリフト向けSFAR(特別連邦航空規則)と2025年の関連通達で、「後続がなぞるべき定規」そのものを整えました。速さで中国、標準づくりで米国 ―― この二軸のあいだで、日本がどの強みを取りにいくのか。ここは戦略の分かれ目です。
前線③ UPRT ―― 義務化の「7年の時差」
そして、私がもっとも注視している前線がUPRT(アップセット防止・回復訓練)です。機体制御喪失(LOC-I)は、半世紀にわたり致命的事故の死因第1位という不動の座を占めています。だからこそ、「いつ義務化したか」という一点が、その国の安全思想を映します。FAAとEASAは、ともに2019年ごろ、商用パイロットの訓練にUPRTを組み込みました。ICAOの枠組みはさらに前に整っています。では日本は ――。

日本のUPRT通達(国交省令第58号)が施行されたのは、2026年4月。世界の主要規制から見て、約7年の時差です。しかも問題は制度だけではありません。義務化されても、実機UPRTを国内で受けられる場が乏しいという現実があります。制度の時差の上に、訓練インフラの時差が二重に重なっている ―― これが、いま日本の空が抱える構造です。
「遅れている」ではなく「7年遅れている」。差を数字で名指しした瞬間、それは感情論から、埋めるべき工程表に変わる。
LSA、eVTOL、UPRT ―― 別々の話に見えるこの三つは、じつは同じ問いに束ねられます。「新しい機体と制度に、人の技量が追いついているか」です。
MOSAICがパワードリフトをLSAに取り込み、eVTOLが型式証明へ進むほど、”新しい操縦者をどう鍛えるか”という問いが前面に出ます。UPRTは、まさにその交差点にある。だからこそ私たちは、この時差を「追いつく」ためだけでなく、追い越して”共創”するために使いたいと考えています。標準を輸入し続けるのか、それとも自分たちで書く側に回るのか。7年という数字は、その分岐点を指し示しています。
各データは本稿執筆時点(2026年7月)のものです。eVTOL認証時期には楽観論と慎重論が併存し(Jobyの型式証明は2026末〜2027、あるいはそれ以降との見方も)、MOSAICの運用細目はコンセンサス標準(Part 22)の整備を待つ段階です。UPRT義務化の適用範囲・実機/シミュレーターの別は、国・機種・運航形態で異なります。数値は目安としてご覧ください。
数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。
時差は、恥ではありません。測って、名指しして、埋める工程に落とす。それができれば、日本は「ルールの輸入国」から「基準の共創国」へと回れます。MOSAICが動く7月24日は、世界がまた一歩進む日。その一歩を、指をくわえて見送るのか、追い越すための号砲と捉えるのか ―― 選ぶのは、私たち自身です。
吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)
UPRT JAPAN INITIATIVE / 現役エアラインパイロット
遙かなる大空 — 日本の空の安全を、一段深く。
■制度・LSA:Vol.60(MOSAICと日本の規制ギャップ)/Vol.66(日本版UPRT通達) ■eVTOL・AAM:Vol.64(操縦者不足)/Vol.67(AAMハブとしての日本) ■UPRT:Vol.15(実機とシミュレーターの橋)
- FAA「Modernization of Special Airworthiness Certification (MOSAIC)」公式ページ(施行日・要件)
https://www.faa.gov/aircraft/MOSAIC - AOPA「MOSAIC Explained: FAQ」(重量上限撤廃・性能ベース化の要点)
https://www.aopa.org/news-and-media/all-news/2025/august/14/mosaic-explained-faq - eVTOL.Travel「eVTOL Certification Tracker(FAA/EASA/CAAC)」
https://evtol.travel/evtol-certification-tracker - SkyDrive Inc.「ADO認証取得/型式証明計画合意」プレスリリース(2026年3〜4月)
https://skydrive.co.jp/en/archives/18082 - FAA AC 120-111(UPRT)/ EASA Part-FCL UPRT要件 / ICAO Doc 10011(Manual on Aeroplane UPRT)
https://www.faa.gov/ / https://www.easa.europa.eu/ / https://www.icao.int/ - 国土交通省 航空局:UPRTに関する通達・国交省令第58号(2026年4月施行)
https://www.mlit.go.jp/koku/



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