遙かなる大空 VOL.129
Alpha Floorは、領収書である
自動操縦の中に留まったまま、自動操縦を直そうとする
エアバスにもボーイングにも、同じ罠がある。
この記事の要点(約8分)
- FDを片方だけ切ると、オートスラストは速度を守らない。エアバスもボーイングも、同じ構造の罠を持っている。
- アシアナ214便は快晴のビジュアル・アプローチで103ノットまで落ち、3人が亡くなった。その機体にAlpha Floorはなかった。
- 問題は保護機能の有無ではない。速度が落ちていくあいだ、手がスラストレバーではなくボタンを探していたことである。
皆さんこんにちは。今日は自動操縦の話を、これまでとは違う角度から書きます。
「エアバスにはAlpha Floorという保護があるが、ボーイングはどうなのか」――この問いを受けることがあります。答えは一言では済みません。そして、問いの立て方そのものに落とし穴があると私は思っています。
1. 同じ罠が、両方のメーカーにある
エアバスを飛ばす者にとって、これは基本の中の基本です。手で飛ぶためにフライトディレクターを切るときは、必ず両方を切る。片方でも残っていれば、オートスラストはSPEEDモードへ移行しません。THR IDLEのまま、推力は絞られたままになります。

【図1】
運航の現場では、こう言い習わされています。FDを操作するのは一人だけ。そして切るときは必ず両方。A/THRをSPEEDモードに入れるためです。
よく挙げられる例があります。TCASの回避指示で降下から上昇に転じるとき。オートパイロットを切って機首を上げても、FDが片方残っていればA/THRはIDLEのまま。アイドル推力のまま上昇しようとして、速度が急速に失われる。そして最後にAlpha Floorが作動する。
ここで、多くの日本のパイロットが知らないことを書きます。ボーイング777にも、まったく同じルールがあります。
777の運航に詳しい関係者が、ある事故の解説でこう書いています。オートスラストがHOLDモードに戻ってしまい、「PMが両方のFDをOFFにしてA/THRをSPDモードへ移行させることを怠ったため」、この機体は速度保護がまったく働かない数少ないモードの組み合わせに入っていた、と。
メーカーが違い、モードの名前が違い、思想が違うと言われます。それでも罠の形は、同じでした。
2. 快晴の日に、103ノット
2013年7月6日、サンフランシスコ。アシアナ航空214便、ボーイング777-200ER。

【図2】
天候は快晴でした。ただ一つ、ILSのグライドスロープが停止していた。そのため、ビジュアル・アプローチになりました。
進入は高い状態で始まりました。自動化の操作を誤り、さらに高くなった。そこから高い降下率で正しいパスを突き抜けていく途中で、オートスラストが速度を修正しないモードに入っていました。
操縦していた副操縦士がオートパイロットを切り、スラストレバーをアイドルに動かした。その操作で、オートスラストはHOLDモードに移行しました。速度を制御しないモードです。
速度は103ノットまで落ち、機体は失速し、滑走路手前の防波堤に接触しました。乗客3人が亡くなりました。
NTSBの副委員長は、公聴会でこう述べています。この事例では、乗員は自分たちが完全には理解していない自動化システムに、過度に依存していた。
そしてこの機体に、Alpha Floorに相当するものはありませんでした。
快晴だった。滑走路は見えていた。それでも速度は落ちていった。
3. 書かれた機体と、書かれなかった機体
この事故の調査で明らかになったことに、私は背筋が寒くなりました。

【図3】
事故より前、ある機長が同種の事象を経験し、HOLDモードでは低速保護が働かないことに気づきました。予期せぬ事態のときに速度保護が失われるのは望ましくない、と彼は主張しました。
その主張を受けて、ボーイングは787の飛行規程に一文を追加しました。HOLDモードのとき、オートスラストは目標速度から大きく外れても復帰せず、失速保護を提供しない、と。
777の同じ書類に、同じ記述は追加されませんでした。
そしてもう一つ。NTSBはアシアナの教官機長5名に、オートスラストが低速保護を提供しない条件を尋ねました。4名が正しく答え、1名は事故のあとで初めて知り、1名はその例外を知りませんでした。
教える立場の人間の、五分の二が知らなかった機能です。
この記事の限界
本稿は公開された事故調査報告と公表資料のみに基づいている。特定の会社や便の内部情報は一切扱っていない。
また、アシアナ214便の乗員を非難する意図はない。NTSBは訓練、運航方針、システム設計、疲労など複数の要因を認定している。個人の資質の問題として片付けるなら、この事故から何も学べない。
エアバスとボーイングの優劣を論じるものでもない。両者は設計思想が異なり、それぞれに合理性がある。本稿が問うているのは、機体ではなく人間の側の習慣である。
4. 手は、どこにあったのか
ここからが、この記事で本当に書きたいことです。

【図4】
これらの事象に共通しているのは、保護機能の有無ではありません。速度が落ちていくあいだ、乗員が何をしていたかです。
モードを直そうとしていました。FMAを見て、何が起きているのかを読もうとしていました。FDのボタンを探していました。自動操縦の中に留まったまま、自動操縦を直そうとしていたのです。
そのあいだ、スラストレバーはずっとそこにありました。
前に押せば推力は出ます。エアバスならディテントの外へ動かせばA/THRは外れる。ボーイングならいつでもオーバーライドできる。二秒あれば足ります。特別な技量も、深いシステム知識も要りません。
では、なぜ手が動かないのか。
私はこう考えています。自動操縦から降りることが、失敗の宣言のように感じられるからです。進入を管理しきれなかったと認めることになる。まだ直せるはずだ、あと一つボタンを押せば元に戻るはずだ――その一秒一秒のあいだに、速度は落ちていきます。
もう一つあります。私たちは、システムの管理者として訓練されてきました。モードを選び、監視し、逸脱を検出する。それが仕事の中心になった。飛行機を手で飛ばすことは、いつのまにか例外的な行為になりました。
Vol.119で私は、教育を三つの層に分けました。手続き、技能、判断と人格。自動操縦から降りる決断は、第一層ではなく第三層の問題です。システムを知っているかどうかではなく、降りる勇気があるかどうか。
5. Alpha Floorは、保護ではない
ここで冒頭の問いに戻ります。エアバスにはAlpha Floorがあり、ボーイングにはない。だからエアバスの方が安全なのか。
その読み方は、危ういと思います。
Alpha Floorが作動したということは、そこまで迎え角が増えたということです。機体が自分でTOGA推力を入れなければならないところまで、人間が放置したということです。
つまりAlpha Floorは、保護ではありません。領収書です。数秒前に自分がやるべきだったことについて、機械が発行する請求書です。
エアバスに乗っている者は、この領収書を受け取ることができます。ボーイングに乗っている者は、受け取れないことがあります。ですが、請求そのものは同じように発生していました。
保護があるから安全なのではありません。保護を使わずに済ませることが、安全なのです。
6. その進入は、受けるべきだったか
最後に、もっと手前の話をします。
ビジュアル・アプローチ中の事象が増えているという指摘があります。気象状態は良い。滑走路も見えている。それなのに、なぜ起きるのか。
構図は決まっています。計器進入を前提に準備し、ブリーフィングも済ませている。そこへ管制から、あるいは先行機の動きから、ビジュアルへの変更という選択肢が現れる。時間が短縮できる。だから受ける。
その瞬間から、進入中にFMSの設定変更をすることになります。ワークロードが跳ね上がる。そして計器進入を想定して降りてきた分、エネルギーは最初から高い状態にあります。
高いエネルギーを、限られた距離で処理しようとする。降下率が上がる。速度が目標を上回る。そして帳尻を合わせようとした先で、今度は速度が足りなくなる。
この連鎖は、最初の「受けます」という一言から始まっています。
現場のパイロットとして
正直に書きます。私も「受けます」と答えたことが何度もあります。断る理由が説明しにくいからです。天気は良い。滑走路は見えている。先行機も受けている。そこで「準備が整っていないので計器進入で」と言うには、少し勇気が要ります。
ですが、断る一言と、高いエネルギーを抱えたまま基線に入ることを比べれば、どちらが難しいかは明らかです。前者は気まずいだけで、後者は危ない。
そして、もし受けてしまって苦しくなったとき。私の手が最初に向かうのは、FDのボタンであってはならないと思っています。スラストレバーです。二秒で済む。この記事を書きながら、自分に言い聞かせています。
結論
エアバスとボーイングの違いは、罠の有無ではありません。罠は両方にあり、形もよく似ています。違うのは、落ちたときに受け皿があるかどうかだけです。
そして本当の問題は、システムの知識ではありません。自動操縦から降りる勇気です。降りる判断ができないまま、中に留まって直そうとする。その数秒が、速度を奪っていきます。
Alpha Floorは保護ではなく、領収書です。受け取らずに済ませることが、私たちの仕事です。
数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。
吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)
エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)
出典・参考
- NTSB「Descent Below Visual Glidepath and Impact With Seawall, Asiana Airlines Flight 214, Boeing 777-200ER, HL7742, San Francisco, California, July 6, 2013」NTSB/AAR-14/01 ― オートパイロット解除とスラストレバー操作によるHOLDモードへの移行、死傷者数。
https://www.ntsb.gov/investigations/accidentreports/reports/aar1401.pdf - FlightGlobal「NTSB cites autothrottle system, crew failures in Asiana 214 crash」2014年6月24日 ― Christopher Hart副委員長の発言、103ノットでの失速。
NTSB cites autothrottle system, crew failures in Asiana 214 crashOver-reliance on automated systems and a misunderstanding of complex flight systems contributed to the crash of Asiana ... - Infinidim「777 Autoflight Speed Protection – Asiana 214」― 両方のFDをOFFにしてA/THRをSPDモードへ移行させることを怠った点の指摘。777運航関係者による解説。
777 Autoflight Speed Protection – Asiana 214 – Infinidim - Admiral Cloudberg「A Sunny Day in San Francisco: The story of Asiana Airlines flight 214」― 787のAFMへの追記と777への未追記、教官機長5名への聞き取り。
Attention Required! | Cloudflare - PPRuNe Tech Log「AP/FD off during TCAS RA – A320」― FCTM・FCOM DSC-22 を引いた実務上の説明。FDを切るのは一人、切るときは必ず両方という運用上の原則。
Just a moment... - 関連記事:遙かなる大空 Vol.119「人を育てるということ」、Vol.117「訓練だと分かっていれば、驚けない」。
※ 本稿は公開された事故調査報告および公表資料のみに基づく。特定の運航者の内部情報は扱っていない。エアバス・ボーイングの優劣を論じるものではない。図はいずれも筆者による整理である。
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