扉は、外に向かって作られたードバイの空で起こったこと

安全・事故


遙かなる大空 VOL.145

扉は、外に向かって作られた

9月30日、操縦室の内側で起きた出来事
脅威が内側にあるとき、私たちは何を持っているのか。

この記事の要点(約8分)

  • 9月30日、操縦室内での争いにより、機体がサウジアラビアへ緊急着陸した。本稿は原因に立ち入らない。
  • 操縦室の扉は「脅威は外にある」という前提で作られている。内側にあるとき、扉は役に立たない。
  • 用意された仕組みは、どれも本人の申告を前提にしている。罰する制度のままでは、申告は出てこない。

皆さんこんにちは。昨日、重い出来事がありました。

9月30日、ドバイ発テルアビブ行きのフライドバイFZ1073便。ボーイング737 MAX 8、乗客174名。飛行中、操縦室内で争いが発生しました。

機体は緊急事態を示す信号を発信し、続いて不法な妨害を示す信号も送っています。高度はおよそ34,000フィートから17,000フィートまで、1分ほどで下がりました。そしてサウジアラビアのタブーク空港に安全に着陸しました。

操縦士2名がともに負傷し、病院へ運ばれました。乗客は全員無事で、代替機でテルアビブへ向かいました。

先に申し上げておきます。この記事は、何が起きたのかを論じません。報じられている内容には未確認の主張が多く含まれ、当局の調査はこれからです。書きたいのは別のことです。

1. 確認されていることだけ

【図1】

航空会社が認めているのは、操縦室内で争いがあり、緊急事態の信号が発信され、タブークに着陸したという点までです。

原因も、経緯も、関係者の意図も、まだ何も確定していません。断片的な証言や、当事国の当局者の発言が飛び交っていますが、本稿はそれらを一切扱いません。

それでも、一つだけはっきりしていることがあります。この便を危険にさらしたものは、操縦室の内側にありました。

2. 扉は、外に向かって作られた

操縦室の扉について、少し書きます。

【図2】

2001年の同時多発テロのあと、世界中の旅客機で操縦室の扉が強化されました。弾丸にも耐える構造になり、内側から施錠でき、外からは開けられない仕組みが標準になりました。

設計の前提は明確です。脅威は客室の側にある。だから扉で隔てる。

その前提が崩れたのが、2015年3月のジャーマンウイングス9525便です。副操縦士が機長を操縦室から締め出し、扉を施錠したまま機体を降下させました。150名が亡くなりました。

このとき、扉は設計どおりに機能しています。強固で、外から開けられなかった。正しく閉まった扉が、機長を締め出したのです。

守るために作った仕組みが、そのまま凶器になりうる。

3. 内側の危険に、何を用意したか

ジャーマンウイングスのあと、いくつかの対策が導入されました。

【図3】

操縦室に常時2人を置くという運用です。一方が席を外すときは客室乗務員が入る。欧州では事故の直後に勧告されましたが、2016年以降は各社が危険性を評価したうえで判断する形に改められました。いま世界で一律ではありません。

仲間による支援の制度も広がりました。操縦士が操縦士に相談できる窓口を設ける仕組みです。

そして定期の航空身体検査。ただしここには限界があります。身体の状態は数値で確かめられますが、心の状態は、本人の申告に頼る部分が大きい。

三つとも重要な仕組みです。ですが共通する弱点があります。いずれも「操縦士が自分の不調を申告する」ことを前提にしている。申告がなければ、作動しません。

この記事の限界

9月30日の事案について、本稿は原因にも経緯にも関係者にも一切言及しない。報道には未確認の主張が多く含まれており、確定した事実は航空会社の公表と飛行記録に基づくものだけである。調査結果が出るまで、判断を保留すべきである。

ジャーマンウイングス9525便を引いたのは、扉の設計思想を説明するためであり、今回の事案と同じ性質のものだと述べるものではない。両者に関連があるとする根拠は何もない。

また本稿は、特定の個人の心身の状態について何かを推測するものではまったくない。扱っているのは制度の構造であり、人ではない。

4. 罰する制度では、見つからない

なぜ申告されないのか。理由は単純です。

【図4】

申告すれば、航空身体検査証明を失う可能性があります。乗務できなくなり、収入が途絶え、職を失うかもしれない。黙っている方に、強い力が働きます。

これは個人の弱さの問題ではありません。制度の設計の問題です。

Vol.122で、航空安全情報自発報告制度について書きました。日本では、報告した人を処分しないと国が約束することで、初めて情報が集まるようになった。罰しないと決めたから、見えるようになったのです。

機体の不具合や運航の逸脱には、そういう仕組みがあります。ところが、人の不調については、同じものがまだ十分にありません。

扉を厚くするのは技術の問題で、金と時間をかければできます。話せるようにするのは、それよりずっと難しい。

現場のパイロットとして

操縦室は、狭い部屋です。長ければ十数時間、二人だけで過ごします。相性のよくない相手と乗ることも、当然あります。意見が食い違い、気まずいまま飛び続ける日もある。

Vol.142で紹介した論文は、経験を八つの領域に分けていました。そのうちの一つが「人間関係の協調」です。飛行時間を重ねても、自動的には育たない領域だと書かれていました。

私たちは扉を厚くし、手順を整え、装置を増やしてきました。ですが最後に残る安全装置は、あの部屋にいる二人の人間です。そこが健全であることを、どうやって確かめるのか。今日の出来事が突きつけているのは、そういう問いだと思います。

結論

何が起きたのかは、これから調べられます。いま言えるのは、危険が操縦室の内側にあったということだけです。

扉は、脅威が外にあるという前提で作られました。内側にあるとき、扉は役に立ちません。

用意された仕組みは、どれも本人の申告を前提にしています。罰する制度のままでは、申告は出てきません。機体の不具合に用意したものを、人にも用意できるかどうか。それが残された宿題です。

数字は嘘をつかない――UPRTは『あれば良い訓練』ではない。

吉川 哲也(Tetsuya Kikkawa)

エアラインパイロット(A320)
UPRT JAPAN 代表
HIEN Aero Technologies シニアアドバイザー・テストパイロット
元航空自衛隊戦闘機操縦士(F-4・C-130)

出典・参考

  • AFPBB News「テルアビブ行き便がサウジに緊急着陸」2026年9月30日、Reuters、および航空会社の公表 ― FZ1073便、ボーイング737 MAX 8、乗客174名、操縦室内の争い、タブーク空港への着陸、操縦士2名の負傷、乗客の代替機での出発。
    https://afpbb.com/articles/-/3655334
  • 飛行追跡データによる発信信号(7700および7500)と高度の推移に関する報道。
  • BEA(フランス航空事故調査局)ジャーマンウイングス9525便 最終報告書(2016年3月公表)― 2015年3月24日、乗客乗員150名が死亡。
  • EASA「Safety Information Bulletin 2016-09」ほか ― 操縦室に常時2名を置く措置の勧告と、その後の各運航者による評価への移行。
  • 関連記事:遙かなる大空 Vol.122「国が『罰しない』と約束した制度」、Vol.142「そこで何を学んだかは、記録されない」。

※ 本稿は2026年10月時点の公開情報に基づく。9月30日の事案は調査中であり、原因・経緯・関係者について本稿は一切言及しない。報道には未確認の主張が含まれており、本稿はそれらを扱っていない。図はいずれも筆者による整理である。

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